落葉のメッセージ
熊手で落葉をかき寄せる手ごたえが、たまらなく好きなので、
暇を見つけては庭に出て、ガサガサやっている。
小春のうららかな光を浴びながら、のんびりやるのもいいし、
今にも時雨が来そうなぴりっとした空気の中で、一心に励むのもいい。
落葉のほとんどは、ハナミズキが散らしたものだ。
本数は少ないが、夏の間に茂らせた葉は結構な量になるから、それなりに、かき甲斐がある。
私はもともと乾いたものが好きなので、手と耳から伝わってくるパリパリした質感を楽しみながら
熊手を無心に動かしていると、「至福」という言葉が浮かんでくる。
「へぇ、そんなことで?」と思われる向きもあるかもしれない。
確かに、ときどき、「これがお酉様の熊手で、大判小判をかきよせているんだったら、豪勢なのに」
と、想像しないわけでもない。
しかし、それが現実になったら、「至福」などと悠長なことは言っていられないはずで、
誰かに見られてやしないか、罰が当たりやしないかと、あっちこっちに目を配りつつ、
血圧と心拍数があがりっぱなしになるに違いない。
落葉を集めて、 たき火=焼き芋 の思い出に浸っているくらいが、私のような小心者にはちょうどいい。
庭仕事なら、無心になれる草むしりも、きらいではない。
しかし、無心と言っても、せいいっぱい生きている命を絶つことへのうしろめたさも
うすうす感じているので、手を休めた拍子に、その小さな罪悪感にチクリと胸を刺されもする。
あれは、五月ごろだったかしら。
公園の前を通りかかったら、管理会社の人たちが芝生の手入れのまっ最中だった。
あちこちで電動芝刈り機がうなりをあげていて、風に乗って運ばれてくる青臭い、
というより生ぐさい臭いに、思わず息を止めて通り過ぎた。
新緑の季節、普段だったら深々と吸い込みたくなるような香りが漂っているはずなのに……
高速回転する刃で、痛めつけられ、傷を負ってショック状態になっている芝草が、
そんな臭気を発するのも、無理はない気がした。
その点、枯葉集めは、心に一切の負担がない。
一枚一枚の葉っぱの、「生ききった」という充足感が、静かに、ほのかに伝わってくる。
あるがままに、というメッセージが心に響く。
「あるがまま」生きましょう。私たち、また、会えますから。
近づく冬を前に、落葉をかき寄せるひとときは、やはり至福である。
by mofu903
| 2013-11-22 01:10
| 季節