カテゴリ:回想( 21 )


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新婚早々、と言っても、三十年も前の話だが、

夫に、「誕生日プレゼント、何がほしい?」と聞かれ、

「ピーターラビットのマグカップを、ペアでちょうだい」と答えた。


さて、その日がやってきて、夫がご満悦で渡してくれた包みを開けると、

予想だにしなかったモノが現れた。

6人分の紅茶が入りそうな、ピーターのティーポットだった。

生まれて初めてデパートの食器売り場に行ったという夫は、

「ウサギがついてるやつは、それしか置いてなかったので」と言った。

ウサギがついてる陶製の鍋敷きも、おまけのように入っていた。


(この組み合わせで、どうしろってんだ)と叫びそうになったが、当時の私はまだ可愛げがあったので、

失望を隠し、そこそこ喜んだふりをした。

その一方で、(本当に、この人でだいじょぶなんだろうか?)という疑念が深まった。

この勘は当たり、その後、あらゆる面で「だいじょばなかった」ことを思い知らされたのだった。

マグカップどころか、自分が毎日使っている茶碗の柄も覚えられない人がいるとは、思いもよらなかった。


このことは以前に書いたが、今もときどき、しゃもじ片手に食器棚をのぞいて、

「ワタシの茶碗、どれですか?」と、聞く。

このあいだも、頭痛で寝込んでいる私の枕元に来て、目の前に自分のと客用の茶椀をグイッと突き出し、

「どっちだったかな?」とのたまった。

脳の血管がきゅーっとしまるのがわかった。

いつか、これで命をとられそうだ。



そうそう、ポットの話をしようとしていたのでした。

結局、新婚のテーブルに、ビッグサイズなポットの出番はなく、以来三十年、

食器棚の奥に押し込んだままだったが、近頃、食器のダンシャリを思い立ち、

まず、これをどうにかしたいと思うようになった。

ポットだけなんて、もらってくれる人もいないだろうと思っていると、

娘が、ネットのフリマに出してみたら?と言う。

このアイディアに飛びついて、早速調べてみたところ、

今はもう製造されていないウエッジウッドの<旧刻印>とかで、なんと、

値段が当時の三倍に跳ね上がっていることがわかった。


さすがに三倍価格は恐れ多いので、購入時価格で出しておいたら、その日のうちに、

「ぜひ欲しい」という奇特な方が現れた。

丁寧に梱包して送り出すと、

「ありがとう、ありがとう。ずっと欲しかったので、大切にします!」というメッセージが返ってきた。

買い手さんにも、売った私にも、ポットそのものにも良い結果。

これぞ商売の理想、「三方よし」の精神だと、大いに気を良くしたのだった。

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これに味をしめて、ネットオークションのページをこまめにチェックするようになった。

そこで、ちょっとレトロな感じのコーヒーカップを見つけた。

小さい頃、まったく同じものがわが家にもあったから、興味をひかれたのだが……

それにしても、なんでアンティークコーナーに出品されてるんだろう。

その横の、ガラスビーズのブローチも、母が持っていたものに雰囲気が良く似ている。

付された説明書きを読む。

<アンティーク・1950年代>

ええっ?1950年代の製品がアンティーク?!

俄かには信じられなかった。

それなら、この私だって、アンティークだ。

何代にもわたって人から人へ受け継がれ、遥かな歳月を旅してきた…そんな物語の一部のような、

一種薫り高いものへの憧れが、いきなり生々しさを帯びた。


確かに、半世紀という時間は長い。

悲しいかな、人間だって、これだけの歳月をくぐれば、変容著しい。

骨董の範疇に入れられても、仕方ないのかもしれない。

世の中の事象が目まぐるしく移り変わる現代においては、

本来、ゆるやかな時の流れの中で培われるはずの付加価値が、

よりスピーディに備わるようになったと考えるべきなのだろうか。


私がアンティークなら、夫もしかり。

母に至っては、アンティークの殿堂入り。

古びてはいくが、一向に付加価値がつかない私たちの身辺には、

必然的に、アンティークの品々が増えていく。

しめしめ、なのか、がっくり、なのか、よくわからない。




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by mofu903 | 2014-11-20 09:54 | 回想
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「あなたが生まれたのは、どんな家?」

こう聞かれたら、

「とにかくお客の多い家だったわ。毎日、誰かしら出入りしてたのよ」

と、答えるだろう。


その来客の大半は、父の職業上、(食欲旺盛な)若い人たちだった。

時折、客間でどっと笑い声が上がるのを聞きながら、幼い私は、

お勝手のひんやりした床に座っていることが多かった。

そこで、彼らの食欲を満たすおやつをこしらえている祖母の、

ゆったりした動きを見ているのが好きだったから。


味噌をなすって、ちょっと焙ったおむすびや、ゴマをたっぷり振った大学芋。

夏場のおやつとして特に喜ばれたのは、大鍋で茹で上げるとうもろこしだった。

幼い私にできるお手伝いは限られていたが、この時ばかりは、

たくさんのとうもろこしを剥く役目を仰せつかって、大喜びで請け負ったものだ。



青々とした外皮を、わしわしと剥ぎ取る。

幾重にも重なった皮は、内側に向かうほど白っぽく柔らかくなり、最後の薄皮をはらりとめくると、

むっちり太ったクリーム色の粒々が並んでいる。

もしゃもしゃの毛の房を取るのも面白かった。



遊び半分のお手伝いが終わったあとには、もっとわくわくすることが待っていた。

剥いた皮は捨てずに取っておいて、祖母に姉様人形を作ってもらうのだ。



細かく縦皺が入った薄皮は、しなやかで、まるでクレープ紙のようだ。

捨ててしまうにはもったいない――そんな風に考えた人が、人形作りを考案したのだろう。

明治生まれの祖母が、その作り方を誰に教わったのか、聞いておけばよかったと思う。



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祖母の膝もと近く寝そべって、器用に動く指先を、まじろぎもせずに見守る。

出来上がりが楽しみなのはもちろん、皺が寄ってシミの浮いた手が、

皮をよりわけたり、細く裂いたりくるんだり、

くるくると糸を巻きつけたりするのを見ているのは心地よかった。


誕生日に買ってもらったバービーちゃんに比べたら、

とうもろこしの姉様人形は、あまりに地味で素朴だったけれど、

大好きなおばあちゃんの手作りだったから、

「はい、お待ち遠さん」と手渡された時の嬉しさは、格別だった。




こうして、とりとめもなく思い出の断片を寄せ集めているうちに、私の脳に不思議な変化が起きた。


五十年近い時を超えて、驚くほど鮮明に、祖母の部屋の様子が見えてきたのだ。


机に載っている、行燈型の小さい電気スタンドや、

文箱代わりにしていた中村屋のあられの四角い空き缶や、

黒い細いつるがついた丸レンズの眼鏡が。

渋い朱塗りのえもんかけにかけられた浴衣は、藍の笹の葉模様だった。

丸くなった背中にもたれかかって、肩に顎をのせると、くすぐったそうに笑った祖母。

和鋏に紫の緒で下げられた小さい鈴が揺れて、ちりちり鳴るのも聞こえた……。




祖母の温顔さえ、今ではおぼろになってしまったのに、なぜこんなにありありと、

とっくに忘れてしまったはずの情景が浮かんできたのだろう。



記憶には、『脳にある海馬に蓄積された情報』という定義だけでは表せないものがある。

そこには、記憶の持ち主とはまた別の誰か、あるいは何かの、強い力が働いていて、

『思い出の国』とでも呼べそうな、領域を形作っているのではないかしら。



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 ――そんなふうに考えたら、私も、懐かしい姉様を作りたくなったのでした。

お人形の顔のつくり方・着物の着せ方は、なんとなく思い出せたものの、髷の結い方はお手上げでした。

ダメもと気分でネットで検索したところ、幸運にも こちらのブログ に出会えました。

嬉しいことに、祖母が作ってくれたものとまったく同じです。

とてもきれいにお作りになっているので、作ってみたいと思われる方は、参考になさってくださいね^^
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by mofu903 | 2013-08-26 12:59 | 回想
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ほたるが発する光は、ほとんど熱を持たないので、「冷光」と呼ばれるそうだ。

東京・目白にある椿山荘では、今年も、ほたるを鑑賞する宴が催されているらしい。

参加した友人が、「すごくロマンチックだった!」と、興奮気味に語ってくれた。


私の生家は、ここの、すぐ裏手にあった。

私が幼かった当時も、椿山荘の広大な庭園にはほたるがたくさん生息していて、

この季節には、群れを離れた何匹かが、わが家まで飛んできたものだった。

ほたるたちは庭の茂みに羽を休めて、言葉にあらわせないほど清らかな、神秘的な光を放った。

ある宵のこと。

縁側から庭に下りて行った父が、ほたるを一匹、掌に包むようにしてもどってきて、

寝間に吊った蚊帳のてっぺんに止まらせてくれた。

幼い私は、うとうとと眠りに落ちかけては、はっと気づいて目を開け、水底を思わせる青蚊帳に、

お月さまのしずくのような光が明滅するのを、うっとりと眺めた。

そんなわが子の様子が面白かったのだろう、父と母が声を潜めて笑っていたのを覚えている。

その後、私たちは、思い出がたくさん残ったその家から、引っ越すことになった。

それからというもの、私は本物のほたるを一度も見ていない。



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ほ、ほ、ほたるこい

あっちの水は苦いぞ

こっちの水は甘いぞ

ほ、ほ、ほたるこい




「あっちの水は苦い」と自分に言い聞かせて、胸の奥に閉じ込めてしまったほたるは、

しきりに羽をふるわせた。眩しい光をしんしんと放って。

行き場のない光は、かつての私を少なからず苦しめたが、それも歳月とともに潤んでいった。


今は、ごくたまに、懐かしさだけが明滅する。
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by mofu903 | 2013-07-06 00:34 | 回想
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最近は、ゆるきゃらブームだが、そのずーっと昔からみんなに親しまれている、
雨につきもののキャラクターといったら?
 
ほら、丸い頭、色白(?)のあの子……


テルテル坊主?  ピンポ-ン!



幼い頃、父が作ってくれるテルテル坊主の効果はてきめんだった。

家族のピクニックとか、学校の遠足とかの前日には必ず、

これがいくつも窓辺に並んで揺れていた。

それを見上げながら、歌を歌った。

そうすれば、テルテル坊主たちがいっそう、力を発揮してくれるような気がしたのだった。



♪てるてる坊主、てる坊主
明日、天気にしておくれ
いつかの夢の空のよに、晴れたら金の鈴あげよ

♪てるてる坊主、てる坊主
明日、天気にしておくれ
私の願いを聞いたなら、あまいお酒を、たんと飲ましょ


                     作詞・浅原鏡村
                       作曲・中山晋平  
                                      



父のテルテル坊主は、丸めた紙にさらに白い紙をかぶせて、

根元をぐりっとひねっただけの不恰好なしろものだった。

それでも、全知全能の神でさえ手を焼きそうな天候の調整を、

<パパが作った>小さなひとがたに託して、私は翌日の晴天を疑わなかった。


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(やっぱり、晴れた!)

(パパのテルテル坊主は、すごい!)

どんなに急いでいても、出がけに坊主たちに顔を書いてやることだけは、忘れなかった。

望みをかなえてくれたのだから、そうしてあげるのが作法だよ、と祖母に教えられていたからだ。

お気に入りの赤いリュックをしょったまま、ペン先の滲みを気にしつつ、

あわただしく目鼻をつけてやったことを思い出す。



しかし、毎度毎度、うまくいくわけもない。


どんよりした、灰色の記憶もある。

窓の外は雨がじゃあじゃあ降っていて、テルテル坊主が申し訳なさそうに首を垂れている。

その下で、私は地団太を踏んでいる。

「うそつき~、うそつき~!」と泣きわめきながら。

全身から発する怒りは、不甲斐ないテルテル坊主と、そんなへなちょこを作った父と、

そして、理不尽極まりない「世界」へと向けられていた。



小学校の一、二年生ともなれば、期待は裏切られることもあるということは、

すでに知っていたはずだ。

だが、この朝の悲憤は別格だったらしく、今でも鮮明に思い出せてしまう。

お出かけが取りやめになったことへの落胆より、

「パパは、特別な力なんてもってなかった」

という絶望のほうが大きかったのかもしれない。





年月が経って、私も子供たちと一緒に、テルテル坊主を作るようになった。

「一緒に」というところがミソで、それなら、たとえ雨が降っても自己責任である(笑)

わが子には、科学への探求心と、不思議な世界を信じる心との、両方を忘れないでいてほしいなぁと、

未熟な母親なりに、当時はそんなことを考えていた。



(その結果……
息子は、理性を必要とする職業につき、結婚も間近というのに、いまだにお化けを怖がっているし、
娘は、現実を見据えることなく夢のようなことばかり言っている)




梅雨入りの発表を聞いたのは、一昨日だったかしら、その前だったかしら。

今日は太陽が颯爽と顔を出して、早々に「梅雨の晴れ間」となった。

窓の向こうに広がる空には、もう夏がきざしている。

目の前を、ついっとツバメが横切って行く。



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*******

一説に、てるてる坊主の原型は、中国の『掃晴娘』(サオチンニャン)であるといわれています。

『掃晴娘』は、空の雨雲を掃き清める仙女のような存在で、

手に、箒と箕(キ・ちりとりのようなもの)を持っているんですって^^
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あなたには、言ってなかったよね?

私が、男のひとに、特大のばらの花束をもらったこと。


私、あなたみたいに綺麗じゃなかったから、男の子に声をかけられることもなかった。

「誰か紹介するから、とにかく一度、デートしてみたら?」って、心配してくれたよね。


でも、本当に必要なかったんだよ。

親友のあなたといるのが、一番楽しかったんだから。



新宿御苑の芝生の上を歩いていたら、あなたが突然、「はだしになっちゃおう」っていうから、

サンダルを脱いだんだっけ。


足の裏がちくちくして、くすぐったくて、笑いながら飛び跳ねていったでしょ?

木陰でお弁当を広げている家族づれをじっと見てたら、お母さんらしい人が、サンドイッチをくれた。

よっぽどひもじそうに見えたのかしら。

遠慮もしないでパクパク食べた私たち、18歳だった。



不作法をとがめる人もいなかった。

こわいもの知らずは、幸せだった。




特大のばらの花束をもらったのは、私がはたちのとき。

五月の、ちょうど今頃だったと思う。


四十本か、五十本。

腕にかかえると目の前が見えないくらいって言ったら、大げさだね、って笑うでしょ。

ばらを抱いて得意顔の私を、張り替えたばかりのキャンパスに写し取ってくれたかな。

「こんな奇跡、ぜったいに残さなくちゃ」って、あなたならきっと、そう言ったような気がするよ。


……ねえ、聞いてる?


これ、小さいけど、庭に咲いたばらなの。

あんなに突然いなくなってしまったから、奇跡のばらは見せられなかったけど、

私がそこそこ幸せに暮らしてるとこ、どこかから見てくれてるよね。



不思議でたまらない。 


集中治療室のドアの脇に立ちつくしていたあの日から、30年以上もたっちゃったなんて。


その間に、いろんな人からばらをもらった、色もかたちもさまざまな。

もちろん、みんなしおれて、そして枯れていった。



でも、あなたがくれた一輪のばら――鉛筆で描かれたモノクロームのばらだけは、

本棚に立てかけたスケッチブックの中に。


今もつぼみのまんま、眠ってる。


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by mofu903 | 2013-05-17 00:18 | 回想
               

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                 photo by びすこってぃ



鳩が一羽、こちらに背を向けて電線に止まっている。

すんなりした後姿が、凍りついたようにみじろぎもしないのを窓越しに眺めていたら、

ほどなくもう一羽が飛んで来て傍らに止まり、もたれかかるように寄り添った。

羽のある恋人たちの待ち合わせに、自然と顔がほころぶ。



体は寒さにかじかんでいても、心がおどることは多い。

さっき庭に出てみたら、植えっぱなしの水仙の芽が、去年より増えていたし、

キッチンでは、蛇口の水漏れがいつの間にか直っていた。

今日は幸先がいいと思ったら案の定、パンケーキはレシピブックの写真と同じくらい上手に仕上がった。


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 ――通り過ぎる喜びに接吻するものは、 永遠の日差しに生きる。

 
詩人であり画家である、ウィリアム・ブレイクがうたったというこの一節に、強く惹かれている。

ブレイクの詩は、難解なことで有名だそうだ。

学生の頃、私も挑戦したことがあるが、早々に読むのをあきらめた。

この一節にしても、様々な解釈があるにちがいない。

ろくに作品を読んだこともない人間が言っては、ブレイクとその研究者の方々に申し訳ないが、

「人生における、ささやかな喜びを大切にする人は、常に光を見失うことはない」

と、作者は言いたかったのかもしれない。

そして、この一節を思うたびに、遠い昔の祖母の姿が浮かぶ。



十歳の私は、庭で花の手入れをしている祖母を手伝っていた。

それまでどんな話をしていたのかすっかり忘れてしまったが、

そのとき祖母がぽつりと言った言葉だけは、不思議と記憶を去らない。

「自分をなだめることが、一番難しいよ」

それは、日ごろからほとんど自己主張をしたことがない、温和なおばあちゃんには似つかわしくないような気がして、子供心にも違和感を覚えた。

「自分をなだめられないときは、こうやってほかのものになだめてもらえばいいの」

こうやって、と言いながら、祖母は手を伸ばし、咲き始めたコスモスに触れた。



その後まもなく祖母は病床につき、手術の甲斐もなく、亡くなった。

お釜に残ったご飯粒を、毎朝欠かさず庭に撒いて、集まってくる雀たちに目を細めていた生前の表情は、

何十年たっても鮮やかに覚えている。




彼女は、<通り過ぎる喜び>を存分に楽しんだ人だった。

今頃の、柔らかく、淡く、たゆたうような日ざしの中に、<永遠に>生きているような気がしてならない。


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トップ写真の撮影者について、お問い合わせがありましたので、
こちらにリンクを貼らせていただきますね。
花鳥風月を愛するびすこってぃさんは、おしゃべりも楽しい方なんです^^

びすこってぃ(足成)  http://www.ashinari.com/

20-tette http://blogs.yahoo.co.jp/setuko0012
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私が小さいころ、家庭のクリスマスツリーは、たいてい本物の樅の木だった。


あらかじめ植木屋さんか花屋さんに注文しておくと、家まで届けてくれる。

高さはだいたい一年生の背丈くらいで、土がついた根っこは、

ぎっちりと藁でまいてあった。

それを、レンガの模様が描かれた木箱に据えつけるのだ。


クリスマスが終わると、樅は父の手で庭に植えかえられたが、毎年夏を越せず、

大きく育てて再利用しようという母のもくろみは頓挫した。


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枝から外した飾りは、鉢と収納を兼ねた木箱にもとどおりしまっておく。

月日がひとめぐりすると、その箱をまた押入れから出してきて、いそいそとふたをあける。

とたんに、いい香りがふわっと漂う。

赤いモールのサンタクロース、銀紙の張子の星とベル、

色とりどりのつるつるのガラスボール。

中でも、手のひらに載るような小さい家が一番好きだった。

絵具の雪がぶあつく積もった屋根には、銀のラメが降りかけてあって、

そっと指でなぞるとざらざらした。

黄色いセロファンが張ってある窓は、日に透かすと、本当の明かりがともっているようで、

いつまでも飽きずに眺めていた。

一つ一つの飾りを鼻に近づけて香りを吸い込んでは、

「どうしてこんなにいい匂いがするんだろう?」と不思議でたまらなかった。



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この取るに足りない疑問は、長いこと疑問のままだった。

というより、疑問に思ったことさえ忘れていた。

「心が解き放たれるようないい匂い」の正体を悟ったのは、私が母親になってからだ。


たまたま、クリスマスのイルミネーションで有名な、T駅で下車したときのこと。

改札を抜けたとたん、吹きつける木枯らしの中に、ふと、懐かしい「クリスマス飾りの匂い」を感じた。

顔を上げると、前方の広場に、高さ10メートルはありそうなツリーが堂々とそびえていた。

飾りの匂いは、樅の木の匂い。深い森の匂い。


そんな他愛ないことが、四半世紀たってやっとわかったのだった。


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Merry Christmas!
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小学校が休みになったとたん、ネボスケで名高い私が、
まだ暗いうちから布団を蹴って飛び起きる。


近くの林に昆虫採集に行くのだ。
前日の夜、木の幹に砂糖水をたっぷり塗っておくのがコツだ。

こうしておくと、黒光りするカブトムシや、斑点のあるカミキリムシや、
戦闘マシーンのようにかっこいいオオクワガタが、面白いように取れたものだ。


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 休みに入るとすぐに、普段はめったに会わない歳の離れた従兄たちが泊まりに来て、
ひとしきり兄貴風を吹かせて帰っていく。

 威張るだけではなく、手花火のお目付け役として付き添ってくれたり、
ロカビリーとかいう英語の歌詞(ほとんどでたらめ)を教えてくれたりという、
親切なところもあった。


 年下の従妹もやってきた。
昼間は仲よく遊んでいて、「私、ずーっとじゃれちゃんのおうちにいる」と言っていたくせに、
暗くなると、「うちに帰りたい」とべそをかいた。
それをなだめるのも、末っ子の私にとっては、めったにない経験だった。



 近所の子と自転車を連ねて、普段は行かない隣町まで遠征して、
地元の子たちと「戦争」をしていたことも懐かしい。

捕虜も、転んで膝をすりむいた負傷兵も、お互いに、
「また明日な!」と言い合って別れるような気楽な戦争だったが。


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 家にべったり張り付いている時間も長いので、
大人たちの昼間の暮らしぶりを目の当たりにする機会も多くなる。

 祖母や、「姉やさん」が、蕎麦を打つ手さばきに見とれたり、
蛇腹きゅうりや刺身のツマを作る包丁づかいの巧みさに驚いたり。
祖母がよく作ってくれる茄子といんげんの煮物は、
口に入れると、ぐにゅっとして嫌いだったけれど。



 近所のおばさんがお茶を飲みに来て、長話をしていく傍らで、
宿題をするふりをしながら、女同士のおしゃべりを聞いているのも面白かった。
その話には、「ゴテイシュ」や「ノンベエ」や「カマトト」がよく登場した。

そうそう、姉やさんが男友達にあてた手紙の書きかけを、
こっそり読んだのがバレちゃったこともあった。
姉やは口をきいてくれないし、母にはこっぴどく叱られるし、
こういう真似は二度とするまいと学んだのだった。



 庭に咲くおしろい花や鬼百合のにおい。
いろいろな葉っぱや花の形、実のつきかたの違い。

アリジゴクの巣に蟻を落として、アリジゴクが平べったい厭らしい姿を現すよう仕向けたり、
抜け出そうともがく蟻がかわいそうになって、草の葉をたらして救助したり。


興味を覚えたら、見飽きるまで見ていられた。時間はたっぷりあった。



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 たいてい家にいる父も、仕事の合間によく遊んでくれた。

 私が大好きだったのが、自動車ごっこ。
畳の上にあおむけに寝転がって両膝を立てた父の、その膝頭に座る。
父が頭の横に左右の手のひらを開いて置き、それがブレーキとアクセルだった。
右側の手を踏むと、膝がガクガクと上下して自動車が走りだし、反対側を踏むと止まる。

 おなかを押せば、ラジオも聴ける。
何故かほとんどが、「こちら、猫猫放送。ニャアニャア」。
たまに、音痴な歌も流れた。



 夏休みも楽しいことばかりではない。
いたずらの度が過ぎて、隣の家の秋田犬に噛まれ、外科に半月も通う破目になった。

 大好きな祖母が大きな手術をして、見る影もなくやせ細ってしまい、
退院してきても、床に伏していることが多くなった。
その頃、近所のおじいさんのお通夜に行き、「死んだ人」を初めて見た。

 その印象が強すぎて、昼間は楽しく遊んでいても、夜になると、
「うちのおばあちゃんも死んじゃうかもしれない」と急に恐ろしくなった。

 ひとり鬱々としていても、寝室に吊られた水色の蚊帳の中に入ると、
何かに守られているようなほっとした気分になって、すとんと眠りに落ちたものだ。

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 観察すること、発見すること、思索すること、発散すること、耐えること。
そして、生きて死ぬこと。

 小学生だった私にとって、まさに奔流のような40日間だった。
これらのことが、「いついつの夏休みにあった」とはっきり思い出すことはできないし、
それは特に重要なことでもないと思っている。

全部ひっくるめて、「夏休み自治国の歴史」として記憶している。




 七月の終わり。
大人になった私は、記憶の嵌め絵に、大きくも小さくもない隙間があるのを意識する。

 夕暮れどき、空が熟れたあんずの色に染まって、
ひぐらしの声が落花のように、あるいは散華のように、頭上に降り注ぐと、
無性にあの日々に置いてきたものを取りに戻らなくちゃ、という気持になる。


 でも、そこは二度と入国許可の出ない場所だから、

うずくような郷愁を、胸の内でころがしては、ゆらゆらとたゆたわせているほかはない。





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 どうしようかな、雨、降ってるし。
でも、雨のバラ園もいいかもしれない。
ぐずぐずしていると、花盛りの季節は、あっという間に終わってしまうもの。
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(やっぱり、来てよかった……)
 
雨のせいで人が少なく、530種、4700株のバラを、心ゆくまで観賞することができた。

この花、あの花と愛でながら、甘い香りの漂う小道を歩いていると、
ゴシックロリータ・ファッションに身を包んだ二人のお嬢さんに出会った。

スカートがふくらんだボルドーのドレス。もう一人はブルーのドレス。
大きなリボン飾りの巻き髪と、貴婦人のようにひらひらの傘。

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あとから、車いすに乗ったり、ヘルパーさんに手をひかれたりして、
おばあちゃんのグループがやってきた。

ヘルパーさんのひとりが、さきほどの少女たちに声をかけた。
「すみません、みなさんが、あなたたちと写真を撮りたいそうなんですけど、
お願いできるでしょうか?」

一瞬、面食らったように顔を見合わせたゴシックロリータ、すぐに笑顔になって、おばあちゃんたちのほうに歩いて行った。


現在の少女と昔の少女が、並んで写真を撮っている。



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そんな光景を眺めながら、
19歳で亡くなった親友の告別式に、真紅のバラの花束を手向けたことをありありと思い出していた。

今思えば、常識を疑われても仕方ない行為だったが、
愛娘を失ったおじさんとおばさんは、「これ、あの子が大好きだったね」と、泣き笑いで受け取ってくれた。
形見にもらったサンダルを履いて訪ねて行くと、顔をくしゃくしゃにして、私の足を何度もさすった。
30数年たった今でも、折にふれ、彼女が生きていてくれたら、と思ってしまう。

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 美大に進んだ彼女は、奇抜なファッションが好きで、当時、ゴスロリの流行があったら、
おそらく真っ先に飛びついていたはずだ。

 私もこの先、どのくらい生きるかは、神のみぞ知るだけれど、
いつかあの世で、19歳の彼女と並んで写真を撮るときが来るかもしれない。

その時は、私も負けずにめかしこんで、人目を引くドレスを着ようかしら。
そんなことを想像すると、その日が楽しみになってくる。


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優美な花姿でファンの多い、ピエール・ド・ロンサール。

この薔薇の名前になったロンサール(1524~82)は、「薔薇の詩人」と呼ばれました。


カッサンドルへのオード       ピエール・ド・ロンサール   訳:山本 薫


 ぼくの可愛い人よ、見に行こう
 朝の光を受け緋色に輝く
 その衣を広げたあの薔薇が
 夕べに、その重なるひだの衣と
 君の頬に似た紅色を失ってはいないかと。

 
 ああ! ごらん、ほんの少しの間に
 ぼくの可愛い人よ、あの美しい薔薇は
 なんということか、地面に散ってしまった。
 おお、おお、自然よ、なんと意地悪な母であることか、
 このような美しい花でさえ、朝から夕べまで
 その命を永らえることができないとは!

 
 だから ぼくを信じてくれるのなら、可愛い人よ、
 君が、新緑の葉の中で
 花を咲かせるこのときに
 摘めよ、摘めよ、君の若さを
 この花のように老いが
 君の輝きを曇らせてしまうだろうから。

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五月晴れの日、国立(くにたち)の大学通りをぶらぶらしてきた。


ここには、私が卒業した小学校がある。
40年前に通っていたこの学校が、私は嫌いだった。

ひねくれた子供だったので、
『子供らしい子供を育てるための情操教育』を実践する学校の方針と、
個性豊かで教育者としてのプライドが高い先生方になじめず、どうにも居心地が悪かった。


 しかし、思い出したくもないほど嫌いというわけでもなく、そこは子供のこと、
ものすごく楽しい!と我を忘れて遊んだ放課後の校庭や、
宝の山だった図書室などは、文句なしに懐かしい。
(ちなみに、同じ学校に通っていた兄は、当時から今に至るまで母校が大好きだ)


 人生に疲れた小学生(私のこと)を癒してくれたのが、通学路でもあった『大学通り』だった。


 特に、新緑の頃やイチョウの葉が舞い散る頃、
学校が終わってこの道を歩く時の解放感といったら!

 駅まで1キロの道のりを、友達と行きつ戻りつしながら、登校時の倍の時間をかけて歩いた。
幅の広い石畳の歩道を遊び場の延長にしても、誰の迷惑にもならないほど、
午後の通りは人影もまばらだった。

 一橋大学の囲いに沿って、じゃんけん遊びをしながら歩いていると、
カツカツとひずめの音を立てて、乗馬服のおじさんを乗せた馬が通って行くこともあった。
 それくらい、のどかな場所だったのである。

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 卒業してから長いこと足が遠のいていたが、その間も、この町は繰り返し私の夢に出てきた。

きっと、覚えている夢だけでなく、目覚める前に忘れてしまった夢にも、
たびたびあらわれていたのでは、と思う。


 だから、いくら時が流れても、この町が格別親しく感じられ、心が惹きつけられるのかもしれない。
ここを訪れるたびに、場の空気そのものに癒されている。

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 「よほど、その町と相性がいいのよ。どうせなら住めばいいのに
と、友人に言われたときは、意表を突かれた気がした。
頭の中に蜃気楼のように浮かぶ町並みが、一気にリアル感を増したからだ。


「東京都国立市」は、言うまでもなく、実際に存在する場所で、
昨今では人気のお散歩コースでもあるが、
「私の国立」は、少しだけ、非現実の世界と重なっている。


今住んでいる町から国立まで、バス一本で行くことができる。
夢が帰って行く場所がこんなに近くにあるなんて、幸せだなぁと思う。





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パンとケーキのお店。石畳を模した生チョコがおいしいです^^



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骨董屋さんの地下には古着の着物や帯がいっぱい。



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ウェディングもできるフレンチ・レストラン。



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