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                       ルリビタキ  photo by tette



鳥類学者の話では、野鳥には、親伝来の歌唱法があるという。

彼らはその旋律を踏襲するために、また、それにオリジナルな改良を加えるために、

繁殖期でなくても、小声で孤独なレッスンを繰り返しているのだそうだ。

寒さやひもじさに耐えながら、自己の内面に照らして思索をめぐらし、

来たるべき季節のスターを夢見て、練習に余念がないとは。

なんていじらしいんだろう。



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                       キビタキ photo by tette
  




チュルリー・フィルルル・スピーチスピーチ・ピチョースピチョース・フィリチチチチチチ・・・・・・

オリジナリティにあふれたこの歌声を初めて聞いたときは、

「鳥界に天性のボーカリストがあらわれた!」と驚嘆した。

朗らかで、良く響き、生の喜びにあふれ、倦むことがない。


この声、二、三年前から、ときどき風に乗って聞こえてくることがあって、

そのたびに、「いったい、何という鳥?」と、気になっていた。

それが、今年は、三月ごろから盛んに聞こえるようになった。

それも毎日、しかも一日に何度も。

謎の鳥は、何を思ってか、うちのまわりから離れず、ひたすら自慢の歌声を響かせ続ける。

たまに止むときもあるので、「さては、歌い飽きたか!」と思えば、さにあらず、

グエッグエッとか、ケケケとか、地声でハミング(?)しているから、

ほとんど切れ目無しといっていいだろう。

声はいやでも耳に入ってくるが、正体は相変わらず不明だった。

あけっぴろげな声とはうらはらに、用心深い性格らしい。

声が聞こえたら、すぐにウォッチングできるように、窓辺に双眼鏡を用意して四日目、

ついにその姿をとらえた。


茶褐色の、ヒヨドリくらいの大きさで、目の周りに白い縁取りがあり、

それが目じりに向かって長く伸びている。

調べた結果、ガビチョウ(画眉鳥)という、中国からの外来種だと言うことが分かった。

さまざまな鳥の鳴き声をまねるのが大好きらしい。

(You Tube にガビチョウの動画を投稿した人によると、14種もの声まねをしていたとか!)

かの国では、この鳥の声の美しさを愛でる人が多く、日本にも輸入されたが、思ったほど人気が出ず、

もてあましたペット業者が、大量に野に放ってしまったという。


名前がわかって好奇心は満たされたが、今度は、この奔放すぎるさえずりが耳障りになってきた。

パソコンに集中している時に、隣家の梅の木(気に入っているらしい)で声を張り上げられると、

「はいはい、もう、わかったから!」と怒鳴り返したくなる。

すでに、おなかいっぱいである。

ここ数日は、「カカカカカカカ・・・・」と、ヒグラシゼミのまねまでしているようだ。





ガビチョウに、さんざん付き合わされた後では、ウグイスの声が、一段と奥ゆかしく聞こえる。

ほーーー・ほけきょ 

極薄の硝子がふるえるような繊細な「ほー」が、少しずつ細っていって、完全に消える寸前、

可憐な中にも、どこか愛嬌のある、「けきょ」が〆る。

暫く「間(ま)」があって、再び、遠くかすかな、ほー、ほけきょ。

この「間」が、ウグイスを聴く醍醐味ではないだろうか。

「間」は、楽曲で言えば、休符にあたる部分だが、決して記号では表せない。

この世ならぬ場所に流れている、不思議な時間である。



夜のホトトギスもまた、異界を垣間見せてくれる。

ついさっきも、虚空の闇を縫いとめるような声を残して、ホトトギスが渡っていった。

「ケキョキョッ!」と、鋭く哀切な一声。

しばらく耳を澄ませていたが、あとには雨夜のひそけさがあるばかりだ。



*******

ホトトギスの鳴き声は、「特許許可局!」とか、「てっぺんかけたか!(天辺欠けたか)」

と聞きなすのが、主流のようです。


ついでに、祖母に教えてもらった「聞きなし」を書いてみますね^^



一筆啓上仕り候(いっぴつけいじょうつかまつりそろ)…… ホオジロ

五郎助、奉公 …… フクロウ

長兵衛忠兵衛長忠兵衛 ……メジロ

ちょっと来い、ちょっと来い ……コジュケイ

*虫食って土食って渋―い …… ツバメ

*利取る利取る、日一分(りとるりとる、ひーいちぶ)…… ヒバリ



ツバメの鳴き声については、面白い昔話があります。

むかしむかし、ツバメとスズメは姉妹でした。

親が亡くなったという知らせが届いたとき、スズメは着の身着のままで駆けつけました。

いっぽう、ツバメは綺麗な着物に着替え、頬に紅までさして、おしゃれをしていきました。

それを知った天の神様は、大変お怒りになり、その結果として、親孝行のスズメは米を食べ、

親不孝者のツバメは、虫や土を食べることになったそうです。



ヒバリについても、こんなお話が。

昔、ヒバリは金貸しをしていました。お日様にも貸したのですが、返済の期限が来ても、なしのつぶて。

取り立てに行くたびに、お日様は雲に隠れたり、大雨を降らせたりして、うまくごまかしてしまいます。

そのため、ヒバリは一日に何度も空高くのぼっては、返済を迫るようになりました。

「利子を取るよ、一日に一分だよ」って。日ごとに膨れ上がる借金、

今では莫大な額になっていることでしょう。



コジュケイの、「ちょっと来い」は、ポピュラーですが、英語圏では、「People play!」

どちらにしても、「遊ぼうよ」って誘ってるのかな。

思わず返事をしたくなるような楽しい声、大好きです^^


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                       ウグイス  photo by tette





今回の写真は三枚とも、tetteさんからお借りしました。tetteさん、ありがとうございました<(_ _)>
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by mofu903 | 2015-06-15 09:06 | 動物
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キョッ、キョキョキョッ!という、ホトトギスの鋭いさえずりを聞いた。


(その年、初めて聞く声を「忍び音」といって、平安の昔から、殊に趣のあるものとされているという)

それからというもの、ホトトギスは近隣の空を飛び回って、しきりに哀切な声を降らせるようになった。



しめやかな雨音が、闇に吸い込まれていくような夜半に聞けば、なおさら切ない。

「トッキョキョカキョク!」とも、「テッペンカケタカ!」とも、聞きなされるその声は、

胸の奥に秘めた想い(情念や、後悔や、未練や、望郷など)をかきたてるように響く。

ひとの想いが胸を突き破り、声となって夜空を駆けて行くのかもしれない。

身の内に孤独をかかえている人は、誰もが虜にならずにいられないだろう。


いにしえの人たちも同じ思いだったらしく、ホトトギスを詠んだ歌は多い。


恋ひ死なば恋ひも死ねとや霍公鳥(ほととぎす)物思ふ時に来鳴き響(とよ)むる
                                  (中臣宅守)



五月雨に 物思ひをれば ほととぎす 夜深く鳴きて いづちゆくらむ
                                  (紀友則)



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ゆうべは、ときどき思い出したように鳴くホトトギスを夜通し聞いていたが、

空が明けそめる頃には、それと入れ替わるようにカッコウが歌い始めた。

「かっこうワルツ」は、ピアノを習い始めた子が発表会でよく弾く曲だ。

私も練習した覚えがあるが、そのスタッカート(一音ずつ切る)で始まる楽譜どおり、

リズミカルで歯切れの良い声音だろうと想像していた。

しかし、実際に聞く声はまろやかで、K音よりP音が勝り、「パッポー」と聞こえる。

素朴な木彫りの玩具を思わせるが、やはりこの声も寂寥を含んでいて、どこか儚い。


――午睡から覚めた幼子が、目をこすりながら、誰もいない部屋であたりを見回して、

「おかあさん?」

返事がない。ためらいながら、もう一度。


来てよ、というふうに無心に呼ばれれば、探しに行きたくなる。

浅い夢からうつつへ、うつつからまた夢へと渡っていく、その声の余韻をたどって。




ホトトギスもカッコウも、カッコウ目カッコウ科、同じ仲間だ。

両者とも声ばかりが先行して、あまり姿を見せないそうだが、さっき散歩に出て、

尾の長い灰色の鳥が一羽、電線に止まっているのを見つけた。

灰色君がいきなり、「カッコー!」と一声。

すぐに羽ばたいて飛び去ったが、同じ姿かたちの鳥がもう一羽、あとを追って飛んでいくのを見て、

なんとなく肩の荷が下りた気がしたのだった。


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by mofu903 | 2013-06-08 15:30 | 動物
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個体差とはなんぞや。

雀はチュンチュン、鶏はコケコッコー。

キジバトは、どれも「デデッポーポー」と鳴くと思われがちだが、

これが注意して聞いているとおもしろいもので、うちの近所のキジバトたちは、

それぞれが特徴のある鳴き方をする。


 数年前、よく鳴いていたのは、 「ぼくらぁひがいしゃです」という、

被害者代表みたいなキジバトだった。

そのカガラガラ声もいつしか聞かれなくなり、ここ二、三年、この界隈をしきっているのは、

きゅうきゅうきてくれ
という事件性たっぷりの鳴き声の持ち主だ。

家から一キロほど離れた公園でも、抑揚のない「きゅうきゅうきてくれ」を何度か聞いた。

彼のテリトリーは、それくらいの範囲なのかもしれない。


最近デビューした新顔は、しきりに、 「ジュウスかってください」 と鳴く。

このジュース販売員は、声が細く、甘ったれた調子で鳴くので、

まだ若いハトなんだな、と勝手に想像している。


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この夏の注目株は、一匹の蝉だった。


 朝、目を覚ますと、すでに日差しはジリジリと照りつけ、家の外ではミンミンゼミの大合唱。

鳴き始めが遅かったせいか、九月に入っても一向に衰える気配がない。

一匹が鳴きやんでもすぐに他の蝉が引き継ぐというふうに、

声は途切れることなく重なり合って、夏の名残の空に吸い込まれていく。


 その中で、ひときわ力の入った声で、
 
「み~んみんみんみんみん・・・」
 
と始めるヤツがいることに気づいた。

腹の底から出るような渋い声はさておき、

「みんみん」の数が、ほかのセミに比べて異常に多い。


やる気のない(もともと、あっさりした性格なのかもしれない)ヤツは、

み~んみんみんと三つ鳴いただけで、み~ん。と、おしまいにしてしまう。

合計4みん。


興味を覚えて数えた結果、鳴き声の一般的な回数は、7みんということがわかった。


 それなのに、この蝉は、み~んみんみんみんみんみんみんみん・・・・・・・み~ん

と鳴きおさめるまで、なんと34みん も引っ張った。

驚異的にブレスの間隔が長く、強靭な声帯(?)の持ち主なのだ。

 歌(?)にかける熱意、圧倒的な声量、こぶしの利かせ方が北島三郎さんをほうふつとさせるので、

せみさぶろうと呼ぶことにした。



 第一声から、すでに才能を感じさせる。

出だしはさりげなく始まるが、声のハリが違う。いや、思い込みじゃなくて。

せみさぶろうの「みんみん」が始まったとたん、聞いている私にまで、

彼の気合が波動のように伝わってくるのだが、

さすがに中盤を越えるあたりから、

「みんみん」が徐々にせわしくなってきて、「止めたいのにタイミングを逸して止まらない」感が

出てくる。

せみさぶろう、あせってる。


そう思うと、おかしいような気の毒なような、また、頑張ってレコードを更新してほしいという

期待も出てきて、仕事もそっちのけで、耳を傾けることになる。


 
さみさぶろうが、最後にひときわ高く、「み~ん!」と鳴き終わった直後、

一瞬の静寂がもたらす清涼感。

 気を張って聞いていたこちらも、

「いやぁ、いいもの聞かせてもらいました」と、感慨に包まれる。


さすがに、この長~い「みんみん」は、毎回というわけではない。

一度、長鳴きすると消耗するらしく、しばらくは普通に鳴いているようだ。


その後、せみさぶろうは記録を伸ばし、ついに39みんを達成した。


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ここ三日ばかり、まとまった雨が降るようになった。

この雨で、一足飛びに季節が進んだ。

今日はまだ、耳に親しんだせみさぶろうの長鳴きを聞かない。
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出だしから私事で恐縮です。
細々と続けてきたブログですが、おかげさまで、今日で100話目を迎えることができました。
実は、先日ブロ友さんに教えていただいて気づいたのですが、
ブログを始めてから、今月11日で丸一年たっていました。
もしも一年間続けられたなら、皆様にお礼のご挨拶をさせていただこうと心に描いておりましたのに、ころっと忘れちった。
本当に、私ってば風の谷のウマシカ(意味不明)

 機を逸してしまいましたが、
拙ブログにおいでくださった皆さま、本当に有難うございました。

 今回は、百物語なら百話目、本来でしたら、ひゅーどろどろとお化けがでるはずなのですが、
やはり一人語りのせいでしょうか、怪事は起きそうもありません。
ですので、今回はせめて、ブログタイトル「もの言う猫」のもとネタについてお話しさせていただきたいと思います。

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『耳袋(みみぶくろ)』という江戸時代の珍談、奇談、怪異談を集めた本があり、
その中に、こんなお話がおさめられています。
 

 『猫ものを言う事』

寛政七年の春のことだ。
牛込山伏町の何とかいう寺では、猫を飼っていた。
その猫が庭におりた鳩を狙っているのを和尚が見つけて、声をあげて鳩を逃がしてやった。
そのとき、猫が、「やっ、残念!」と呟いたのである。


 聞いた和尚は驚いた。
裏口の方に走っていく猫を取り押さえると、手に小柄(こづか)をかざし、
「おまえ、……今、しゃべったな!」
「にゃあ?」
「ごまかすな。猫のくせにものを言うとは、恐ろしいやつ。
さだめし、化けて人をたぶらかすのであろう。さあ、人語を話すなら正直に申せ。
さもないと、殺生戒を破ってでも殺してしまうぞ」


 猫は観念したとみえて、こう答えた。
「ものを言う猫など、珍しくもない。十年以上生きた猫なら、みなものを言うぞ。
 それから十四、五年も過ぎたら神変も会得できる。
 もっとも、そこまで生きる猫は、ほとんどおらぬが」
「そうだったのか。ならば、おまえがものを言うのも無理はない。
 しかし、おまえはまだ十歳になっていないではないか」
「狐と交わって生まれた猫は、十年に満たなくても、ものを言う」


和尚はしばらく考えた。それから、
「今日まで飼ってきたおまえを殺すのは、やはり忍びない。
 おまえがものを言ったのを、ほかに聞いた者はいないから、わしが黙っていればすむことだ。
 これまでどおり、この寺にいるがよい」
と言って、放してやった。
猫は三拝してその場を去った。
そのまま何処へ行ったか、行方知れずになったそうだ。

その近所に住む者の語った話である。


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 不思議ばなしとしての魅力もさることながら、
飼い主としての愛情から、猫の本性を見なかったことで済まそうとする和尚さん、
その意を汲んで感謝しながらも行方知れずになった猫――という結末が好ましく、
数ある化け猫話の中でも、特に印象に残っています。

 正体を知られて立ち去る猫には、恥の意識を重んじる武家思想が反映されているのか、
あるいは、自分が居座ることによって和尚に累が及ぶのを避けようとしたのか、
はたまた、江戸っ子の潔さか。
どちらにしろ、これぞ日本人の美学と思うのです。

 これがもし欧米の話だとしたら、猫は恩義ある主人のために、「長靴をはいた猫」のごとく奮闘したかもしれませんね。


 更新も遅く、ますますネタに乏しい「もの言う猫」ですが、
ゆるゆると続けさせていただけたら…と願っています。
皆さま、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
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『耳袋』……江戸時代の南町奉行、根岸鎮衛が30余年間に書きついだ随筆。同僚や古老から聞き取った珍談、奇談などが記録され、全10巻1000編に及ぶ。 
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昔ながらの金魚鉢に、グッドデザイン賞をあげたい。
紺青の縁取りがある口の部分がおおらかに波打っていて、
胴の優しい丸みは、思わずつるつると撫で回したくなる。
たおやかに浮かぶ緑の藻や、すいっと尾を振る金魚たちが、実に涼しげに映えるから、
先日デパートのウィンドーに飾られているのを見て、あらためて感心してしまった。


 私には、生き物を観察していると没頭してしまう癖があって(以前、お話したアサリのように)
特に金魚はいくら見ていても見あきない。
水面という透明な隔たりの向こうに揺らめいている姿は、
どこか見る者を引きつける魔力を持っている。
ヒトが、人魚や同属の妖精に魅入られる物語は、パターンこそ異なっても
世界各地で散見されるが、金魚も類似の資質を秘めているらしい。

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まだ幼稚園に行っていた頃だった。
近所のお社で縁日があって、そこで掬ったばかりの金魚をビニール袋に入れてもらい、
家に持って帰る途中だった。
金魚が二匹入った小さい三角のビニール袋には、
口を巾着のようにきゅっと絞って下げる細い紐がついている。

私はそれを目の前に掲げるようにして歩きながら、小さな赤い金魚にすっかり魅入られていた。


足だけは規則的に前に出ていたが、周囲の景色は眼中になく、もの音さえ耳に入らなかった。
そのままの姿勢で、私は警報が鳴っている踏切の中に、遮断機の隙間を抜けて入って行った。
親戚のお兄さんに肩を掴んで引き戻されなかったら、そこで私の人生は終わっていたはずだ。
目の前を、轟音を立てて急行電車が通過して行った。


お兄さんにも、その場に居合わせたよその大人たちにも、ひどく叱られた。
帰ったら、家の人たちに、もっとひどく叱られた。
「もう少しで電車にひかれて、死んじゃうところだったんだよ!」
火のように叱りつけられても、ひとつも<死んじゃう怖さ>がわからなかったので、
祖母が黙ったまま庭の睡蓮鉢に放している金魚を、早く見に行きたいと、
そればかり考えていた。



 最近、久しぶりに金魚を飼うことになった。それも、左足のふくらはぎに

色気のない話だが、虫刺されを放っておいたら、ちょうど小指ほどの長さに血の色が差して、
少し腫れたところが和金にそっくりなのだ。
掻き壊したので、ひらひらの尾っぽもある。
今日、目ざとい友達に、「タトゥーでも入れたかと思ったわよ」と笑われた。
とてもそんな思いきったことはできないが、このままずっと棲みついてくれてもいいな、
なんて思っている。

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 今朝は、すさまじい争奪戦の声で眠りを破られた。
棲みかを奪い合っているのは、ムクドリのカップルたちだ。 
うちの屋根には見かけだおしのドーマー(屋根裏採光窓)がついていて、
そこが永年、ムクドリの格好の住居になっている。
手前味噌だが、この地域のムクドリの間ではかなりの人気物件だと思う。

 
毎年四月の半ばになると、第一次争奪戦が始まる(今年は例年より一カ月ほど遅れたようだ)
2、3羽の雄がギャーギャーとけたたましい声をあげ、空中で何度も激しくぶつかり合う。
 
闘いは十分ほどで決着がつくが、勝ち組はさっそく屋根に上がって新居の手直しをはじめ、
負け組は家の前の電線に止まってうなだれている。
今回の負け組は、一羽がうなだれ、もう一羽はそっぽを向いてむくれていた。
この状況を見さえすれば、誰にでも雌雄の区別が容易につくと思われる。
 
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 それから数日のあいだは、屋根を歩く鳥のトタトタ言う足音が時折聞こえるくらいだが、
やがて、か細い声がチーチー言いはじめる。
<あ、生まれたな>と思っているうちに、ひなたちの声は日ましに力強くなっていき、
それに対応して餌を運ぶ親鳥の行き来も頻繁になり、
ついには、分刻みで餌を運ぶようになる。
 なぜわかるかというと、屋根裏のひなの声が、親が餌を持ってくるたびに、
一気に白熱するからだ。

 卵やひなを狙ってやってくる、カラスの襲撃に立ち向かうときの団結力もすごい。
「ジャーッ、ジャーッ」と親鳥が警戒音を発すると、近隣の仲間がただちに応援に飛んでくる。
電線に十羽、二十羽、と並び、いっせいに威嚇の声をあげる様子は、
ヒッチコック映画の「鳥」を思わせて、かなりの迫力がある。
 それでも、カラスにとってはどうということもないらしく、
隙を見てひなをくわえていってしまう。
親鳥たちが、自分より倍以上も大きいカラスに真っ向から体当たりしていく光景には、
いつも感動させられる。

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この間ベランダにいたら、
「ピピピッ? ピキ~~~ッ!!」
と、けたたましい声が響いた。
見上げると、一羽のひなが、屋根をすべって庭に転げ落ちて行くところだった。 
「ピピピッ」は、「あららら?」、
「ピキ~~ッ」は、「坊や~っ!!」という悲鳴だったに違いない。

 さいわい、もうかなり育っていた坊やは怪我もなく、よたよたと庭木の茂みに這い込んだ。
あまり近づくと親が警戒するだろうと思って放っておいたが、やはり心配で、
庭に出るたびに気になっていた。

 
 小雨の日、草むしりをしていると、植え込みの奥で縮こまっている坊やと目が合った。
純真なまるい目をしていて、実にあどけない。
雨粒が、ほわほわの羽毛が生えた頭に、ぴちょんと跳ねた。

 
カラスや猫にやられないように祈るしかなかったが、うまい具合に身を隠しているらしい。
感心なことに、親鳥はこのひなにもきちんと餌を与えに来る。
それも、茂みの奥で待っている坊やのところに直行しないで、まずそのへんの木に止まり、
それからもう少し近くのフェンス伝いに歩いて様子をうかがい、
慎重に安全を確認したうえで、素早く茂みに飛び込んでいく。

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 きのう屋根裏がひっそりしたと思ったら、案の定、目の前の電線に、
両親と、一人前になった子供たち四羽の、ムクドリファミリーが勢ぞろいしていた。
いよいよ巣立ちらしい。
しばらくして最初の一羽が飛び立ち、それから順番に。
この若鳥のなかに、あの落っこちた坊やも入っているといいのだが。

 
そして今日は早朝から、次の入居希望者が、第二次争奪戦を繰り広げているというわけだ。

 毎年のことながら、この騒ぎにはいいかげん嫌気がさしている。 
それでなくても、うるさいし、あちこち汚すし、ブサイクだし、大切な花を食べてしまうので、
ムクドリが好きかと聞かれれば、迷わずノーと答えるつもりだ。
しかし、まったく情が湧かないわけでもない。

 「袖触れ合うも他生の縁」
と言うが、それに近い感情だと思う。
風が強い日は、ひなが巣から落ちないか心配だし、カラスが襲撃してくると、
思わずベランダに飛び出して、キングコングみたいに両腕を振り回しているのだから。

これで、家賃さえ払ってくれれば、「テラスで朝食つき」にしてあげてもいいんだけど。
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祖父の懐中時計は、過去の時間を閉じ込めているせいか、
文字盤のガラスがぼんやりと潤んでいる。
てっぺんには、縦に刻みの入った逆三角錐のねじ。
夢の中で、そのねじを巻いていた。ヂュリリッ、ヂュリリッ……。

 映像が消えて、音だけがはっきりと耳に響いてくる。
音の正体は、庭先で鳴く鳥の声だった。

 頭がはっきりしてくるにつれ、
『ねじまき鳥クロニクル』(村上春樹著)という言葉が浮かんだ。
この小説中のねじまき鳥は、ギイイイ、と鳴いて世界のねじを巻いている。
でも、私が聞いている声は、リアルねじまき鳥だ。
いったい、何の鳥かしら。



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庭の「ねじまき鳥」は、その後一度も鳴かないが、今朝はまた、
すぐ耳元で鳴いたかのようなホトトギスに起こされた。

窓が矢車草の青に染まる午前四時のこと。
「トッキョキョカキョク!」と、何度かけたたましく叫んで、どこかへ飛び去った。
三時近くに、うとうとと寝入ったところだったから、
睡眠不足で、午後になった今もずっと頭痛を引きずっている。  


 万葉時代から、尽きることなく詩歌に登場するホトトギスだが、
私には、それほど情趣のある声とも思えない。
 特徴のある声だから、耳にすれば面白いし、
「今年もまたホトトギスの季節になったな」とは思うけれど。
信長、秀吉、家康の三武将の人となりを表す「鳴かぬなら」の句もよく引き合いに出されるが、
なだめたりすかしたりしてまで聞きたいものかどうかは、疑問である。


 しかしこの鳴き声、真夜中に、特に雨がしとしと降る晩に聞くと、
妙にしみじみとした哀感を誘うのだ。

 「ねえ、ここにいるよ、君はどこなの――」 
 夜の底で孤独を嘆くような、悲痛な声。
しかも、これが現代の夜の暗さとはくらべものにもならない、真の闇の中でなら……。

この声に想いをかきたてられたいにしえの人々に、共感したくなってくる。


 鳥が、朝と夜とで鳴き方を変えるはずもない。
真夜中の孤独を知っているあなたに、ぜひあの声を聞いてほしい。



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 つがいのキジバトが庭に来るようになってから、かれこれ半年になる。
そのたびに餌をまいてやっていたらすっかり馴れて、
雨の日も風の日も通ってきて、ほとんど我が家の飼い鳩のようになってしまった。 
お腹がふくれると、芝生でのんびり羽を広げ、気持ちよさそうに日光浴している。
こんなに警戒心をなくしちゃって大丈夫かしら、と思うほどだ。

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 しかもこの鳩たち、食事の作法が良くて、
テラスにまいてやる豆や雑穀を、端から順番に、実に几帳面に食べていく。
決して、あっちをつつき、こっちをつつき、と食べ散らかすことがない。

 
リビングの窓越しに鳩たちの姿を認めると、からからと窓を開け、
「ポッポッポ」と呼びながら(キジバトはポッポとは鳴かないが)餌をまくのが、
私の母の日課になっている。
しかし、ときどきは来ているのに気づかないこともある。
そうすると彼らは必ず、テラスにある背の高い植木鉢に止まって、
「ここにいるよ」アピールをするらしい。

 
 今日、買物から帰って一息ついていると、母がいそいそとやってきた。
何か話したくてうずうずしているようだ。

「鳩って利口なのね、驚いたわ」
 
聞くところによると、今日はつがいではなく、雌のほうだけ来たらしい。
窓を開けると、例のごとく飛んできてテラスに降り立ったのだが、
いつもと違って、くちばしにY字型の小枝をくわえていたそうだ。
新築するか、棲んでいるところをリフォームするつもりなのだろう。

 目の前に餌をまくと、しばらく困り顔で(?)考えているようだったが、
とうとうくわえていた小枝を足元に落として、餌をついばみ始めた。

 そのとき電話が鳴ったので、数分ほどその場を離れたが、
戻って来てみると餌はきれいになくなっていて、鳩の姿もなかった。
そして、ここが話のメインらしいのだが、くわえてきた小枝もなくなっていたという。 
帰って行く時、忘れずにきちんと持ち物を回収していったことに、母は感じ入っている。
しきりに「鳥って、頭がいいのね~」と褒めるのを聞いて、
当方、非常に耳が痛かった。


 というのも、さきほどスーパーで買い物をして、レジを済ませた私。
その時点で、意識は、この店のポイントカードに集中していた。
2000ポイントたまったら、2000円引きにしてもらおうと決めていたのだが、
渡されたレシートに打ち出された数字は1950ポイント。

  やった、あと少しだ! 
レシートをにんまりと眺めつつサッカー台の前までいき、
(さすが、ポイント10倍の日をねらっただけあるわ~)
などとほくほくしながら大切なカードを財布にしまっていると、

「おきゃくさま…」の声。
品物満載のカゴを持ったかわいい店員さんが、

「お買い上げのお品、こちらに置かせていただきます」

 きゃっ! 
ポイントの残高に熱中するあまり、買った品物のことをまるっと忘れ、
カゴごとレジ台の上に置いてきちゃったのだ。 
振り返ると、たった今、私が通ってきたレジには数人のお客が並んでいて、
不思議なものを見るような目でこっちを見ている。

 すみませ~ん、ありがとございま~す、
あわてて店員さんにお礼を言いながら、顔から火が出そうだった。
生肉、冷凍食品、洗剤、卵……めくらめっぽうマイバッグに放り込み、
その場を逃げ出してきたのだが、
よりによって、鳩に追い打ちをかけられるとは。

『賢い鳩と愚か者』

なぜか、イソップ物語的なタイトルまで頭の中にぽっかり浮かんできて、
ますますへこんだ。
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 散歩の途中、ちょうど生垣をくぐってあらわれた若い猫と視線があった。
生意気そうな顔つき、思慮深い目をしているから、即座に、ほれてしまった。
白い顔に、黒マスクも粋である。
 
 無言で見つめあううちに、どうにかしてこの子とお近づきになりたい
という熱い思いがこみあげてきた。
猫を飼ったことがないので、好みかどうかわからなかったが、とりあえず、
ポケットにあったリーフパイをひとかけ、てのひらに乗せてさしだしてみる。
♪ドキドキ…。

 だが、一瞥ののちに、猫はぷいっとそっぽを向いて身をひるがえし、
あっというまに生垣の中に消えてしまった。

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  取り残された私。
 
 脳裏に、意を決してさしだしたチョコレートを、
憧れの人に拒絶された女の子のすがたが浮かぶ。
 
 過去の私? 残念ながら、そんな甘酸っぱい記憶のかけらもない。
中高を通じて女子高だったし、
(そのためか、ひょろりと背が高くて男の子のような外見だった私は、
 代用男子として、チョコをわたされることが多かった)
それ以前の問題として、
それほどのパッション、それほどの勇気を持ちあわせていなかったから。

 ああ、相手が人間のイケメンじゃなくてよかった。

 もしそうだったら、悲しいほど恋愛経験のとぼしい私のこと、
耐性がないぶん、しばらく立ち直れなかっただろう。
去りぎわに、猫が優越感をこめてちょっと細めてみせた目は、
「悪いけど、趣味じゃないね」と言ってたもの。

 ふられちゃった私を、白くてまるい昼の月が見下ろしていた。
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 夕方の公園では、人と犬のペアに遭遇することが多い。

飼い犬は飼い主に似る」というのを、一度、検証してみたいのだが、
いちいち両者を見比べてつぶさに観察するわけにもいかないので、
もっぱらワンちゃんにのみ、意識を向けている。

 小径で会ったら後ずさりしたくなるほどの大型犬や、ファッショナブルなセレブ犬、
優雅な足取りのダンサー犬が通る。
リードを引かれて、モップのようにころころと進む毛むくじゃらのチビちゃんは、
枯れ芝と土埃にまみれている。散歩から帰ったら、お風呂が待っているのだろう。

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ベンチで一休みしていると、一匹の犬が、お父さんふうの人に連れられてやって来た。
器量良しとは言えないが、まっ白い毛並みはつやつやして、
ピンクがかった鼻のまわりに愛嬌がみえる。

リードをはずされたシロ(仮名)は、投げてもらったおもちゃで、夢中になって遊び始めた。

ところが、そのすきにそろそろと後ずさりした飼い主さんが急に小走りになって、
近くにあった太い幹の後ろに隠れたから、見ていた私は、あやうく笑いだすところだった。

 体格のいい飼い主さんは、せいいっぱい身を縮めて、
ちょっとだけ顔を覗かせて様子を伺っている。
黒ぶち眼鏡の目元には幾重にも笑い皺が寄っていて、
このあとの展開に胸を躍らせているのが、よくわかる。

ついに、シロがご主人失踪に気づく瞬間がやって来た。

あたりをキョロキョロ見回しても、お目当ての人がいないので、
ガーンと衝撃を受けた(?)表情。
すぐにあわてた様子で、あっちへトコトコ、こっちへトコトコ、その狼狽ぶりたるや、
まるで親にはぐれた幼児そのものだ。

 嗅覚が優れた犬のこと、飼い主の匂いぐらいたやすく嗅ぎつけそうなものだと
思っていたのに、どうやら私の認識不足だったらしい。
 
キューン、キューンと、切なげに鼻を鳴らし始めたシロ。
ここにきてやっと、飼い主さんが、笑いながら姿をあらわした。
しかし、今度は、いくら名を呼ばれても、そっぽを向いて知らんふり。
すっかり拗ねてしまったようだ。

根負けした飼い主さんが、迎えに戻って行く。
ごめんな、と手を合わせて何べんも謝っている。
やっと機嫌を直したスノー(実名)。
上目遣いにもったいをつけつけ、歩み寄って……尻尾をちぎれんばかりに振って飛びついた。
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