カテゴリ:植物( 15 )

b0209810_1336196.jpg



5年前の春浅いころ、初めて降りた駅で、迷子になった。

勘を頼りにその辺を歩きまわってみたが、事態は悪化する一方だった。

ついにあきらめて、道を尋ねるために、街角の花屋さんに入った。



薄暗い店内は予想外に広く、予想外に品薄で、入り口近くのコンクリートの床には、

鼻づらの長い大型犬が、平たくなって寝ていた。

声をかけると、作業台の前で、仕入れた花を捌いていた背の高い女の人が、億劫そうに顔を上げた。

彼女が手にしているバラの、ピンク、オレンジ、イエローが、マーブル模様のように溶け合った

不思議な色合いに目を奪われ、本来の目的も忘れて、思わず、

「それ、一本ください」と言っていた。



顎先で頷いた彼女が意外に時間をかけて選ってくれている手元を眺めながら、

「こんなにきれいに咲いてるのに、いつかは散っちゃうんだものねぇ…」

ひとりごと半分に言った私に、「挿し木にしたら?」

やはり、ひとりごとのような答えが返ってきた。

バラの挿し木は私には難しすぎて、成功したためしがないの、と打ち明けると、

ふっと目元を和らげて、「切り方かな?」

茎の下部を、迷いのない鋏づかいで、パチンと切り落としてくれた。



b0209810_13345951.jpg




その日、一本だけ買って帰ったバラを、ガラス壜に挿して、机の上に飾っておいた。

その年はいつまでも寒かったせいか、バラは一か月以上もきりっとした輪郭を保っていたが、

やがて自然の摂理に従って花びらを散らした。

長く咲き続けてくれたことに感謝しつつ壜から抜いてみると、なんと切り口にカルス(瘤)ができて

発根している!

遅まきながら、あの時の女主人の手際に感心しつつ、いそいそと鉢植えにした。




バラは年毎に大きくなり、細かった茎も、幹と呼べるくらいに太くなった。

「あの時のバラね、根付いたのよ!」と、ずっと彼女に伝えたいと思っていた。

その後、たまたま近くまで行く用事があって店を訪ねてみたが、

あの仄暗い花屋があったところは、大きなガラス窓の美容室になっていた。



薔薇園で咲き誇っている仲間たちと比べたら、ささやかすぎる花だが、

私はこのバラの手入れに余念がない。

そのたびに、たった一度だけ会って、ふたことみこと言葉をかわした人のことを思い出す。




去年の秋、このバラの足元に、小さな赤ちゃん苗をみつけた。

濃い緑色の葉っぱはつややかで、まっすぐな良い姿をしていた。

うちのバラが実生で増えたのは初めてだったので、なんともいとおしかった。

冬が去り、春が深まっていくにつれ、丈が15センチほどになり、あれれ?

一人前に、てっぺんにつぼみらしきものもついた。



そして今日、待ちに待ったつぼみが開いた。

親はピンクからオレンジ系の混色なのに、こちらは混じりけのない白。

バラ栽培の知識がないから、どうしてこうなったのかわからない。

ただ、不思議なこともあるなぁ、と思うばかりだ。



b0209810_13372368.jpg



b0209810_13365212.jpg





* * * * * *

お久しぶりです。
おいでくださって、本当にありがとうございます。
諸々の事情に加え、娘の病状が思わしくなかったこともあって、
すっかりブログから遠ざかってしまっていました。
こんなに更新できないならいっそ閉じてしまおうかとも思うのですが、
なかなか思い切れずに、だらだらと続けさせていただいています(´ω`;)
しばらくは、こんなペースになってしまいそうですが、
またお立ち寄りいただければ嬉しいです(^ω^)





b0209810_13375914.jpg

[PR]
by mofu903 | 2015-05-16 13:55 | 植物
b0209810_15435135.jpg



あじさいの名所、高幡不動尊金剛寺(東京都日野市)




b0209810_15431259.jpg


「新東京百景」の一位に選ばれた五重塔。高幡不動尊のシンボルです。




b0209810_15565897.jpg

 ここは、新撰組副長・土方歳三の菩提寺でもあります。
豪農の十人兄弟の末っ子として生まれた彼は、この境内でしばしば剣術の稽古をしたとか。








b0209810_15443019.jpg


かつて、<ハイドランジア・オタクサ>を学名に持っていた、あじさい。
(現在では、ハイドランジア・マクロフィラ)

ドイツ人医師のフォン・シーボルトが、彼の日本人妻であった楠本滝(オタキサン=オタクサ)
の名をつけたと言われています。


シーボルトは植物学にも強い関心を持っていました。
穏やかな風土に根ざした日本原産のあじさい、その優美な趣をめでて、
愛する人の名をつけたシーボルト先生は、きっとロマンチストだったのでしょう。

 しかし、この命名は、のちに、ある人の逆鱗に触れることになります。

植物学界の大御所にして、例の、オオイヌノフグリの名付け親、牧野富太郎博士が、
その人。


 可憐で美しいあじさいに、娼妓の名を付けるとは何事か!と、ご立腹はなはだしく、
学会誌上で、ここには書けないほどの罵詈雑言を尽くしてののしっておられます。
結びには、「神聖を(冒)涜されて……ああ、可哀そうな我がアヂサイよ」と。


 幕末に産声を上げた学者さんらしい倫理観とも言えますが、
こういう見方が、当時は一般的だったのかしら…。



b0209810_16163267.jpg

 
滝がシーボルトにあてた手紙(1859)の一節に、こんなことが書いてあります。
内容をかいつまんで紹介すると、



 (シーボルトとの間に生まれた娘の)お稲には、日ごろから、
「お父様は、世界中にその名声を知られているほどのお方です。
お前はそういう方の娘であるという自覚を持たねばなりません。
決してお父様の名を汚してはいけませんよ」と教えてきました。

その甲斐あってか、利発な娘に成長し、十七、八歳になると、
『何とかしてお父様の職業を継ぎ、立身出世をなしとげて、
彼方の地におられるお父様に孝行をしたい。
たとえ女の身といえども、一家を興してこの名を末代まで残そう』

と、襲いくる困難をものともせずに、医学の勉強に励んでいます。



そうやって暮らすうちにも、夏が来てオランダ船入港の合図の砲声を聞くたびに、
『もしや、お父様の船が出島に来てはいないだろうか、
さもなければ、近況を知らせるお手紙か言伝かがあるのではないだろうか』
と思い、一言なりとご消息を聞きたく、また、お稲に聞かせたくもありました。


 まれにオランダの人を見かけると、
あなたに似た人がいまいかと二人で心を躍らせて探しますが、
見つからなかったときは、親子ともども、悲しく残念な気持ちになります。
幾夜あなたの夢を見たことでしょう・・・。





もし、母娘の、こうした一途な思いが牧野博士の目に触れていたなら、
博士も大いに感ずるところがあったはず……

 そんなことを考えながら、そろそろ盛りを過ぎたあじさいを惜しんでいます。



b0209810_15595430.jpg

[PR]
b0209810_14402994.jpg



 梅雨にはいると、図工や美術の授業では、写生の題材として紫陽花がしばしば登場する。

この花は、別名・七変化ともいうように、
青~赤紫系のさまざまなグラデーションを持つというイメージが強い。


 一概に、そのせいとも言えないが、どのみち、子供たちのパレットは、
赤、白、青、紫、桃色の絵の具でいっぱいになる。


 中学生時代の私も、紫陽花をじっくり観察することもなく、
「らしい」色の濃淡を作っては、塗り重ねた。

揚句、紫陽花は重たげに濁り、画用紙は水っぽい筆で何度も擦ったせいで、
ケバ立ってぶかぶかになった。
イメージ先行の悪い例だ。


 私やクラスメートたちが、苦心惨憺しながら自分の作品を破滅に追いやっているときに、
ひとり、涼やかで美しい紫陽花を描いている子がいた。



 4月生まれの弥生ちゃんの絵筆が、画用紙に写し取った濁りのない色に、
みんな感嘆の声を上げた。

誉めそやされて、初めはひたすら恥ずかしがっていた弥生ちゃんだったが、
賛辞も度をすぎたのだろう。
なんと、描いていた絵を破り捨てようとしたから、見ていた全員がびっくりした。
いいタイミングで先生がやってきたので、その場はどうにかおさまったが。


弥生ちゃんはその後、有名美大を受験し、トップに近い成績で合格したと聞いた。


b0209810_14442262.jpg



 今年、紫陽花をしげしげと眺めて、
花びらに浮かぶ透明感のある色を、初めて正しくとらえられたように思う。

芸術家を志す人はやはり、対象の本質を、即座に見抜く目を持っているのだろう。




 紫陽花の学名、ハイドランジアは、『水の器』という意味だそうだ。
根から多くの水分を吸い上げる性質がその名の由来、と聞いたことがある。

しかし、雨上がりに、紫陽花の花びらに宿る水滴を見ていると、
その輝く一粒一粒が、実にお似合いのうつわを得たものだと思えてくる。



b0209810_1440492.jpg

[PR]
b0209810_11345999.jpg


若草が萌え始めた土手の、そこかしこを青空の色に染めている
オオイヌノフグリ。

せいいっぱい咲いている様子がかわいかったので、写真を撮ったら、
密集した花の中に、小さな小さな赤い点が写っていました。
拡大してみたら、つやつやのテントウムシでした。

b0209810_11351492.jpg


 テントウムシは英語で lady bird(lady bug)
このレディは、聖母マリアのことなんだそうです。

 そのためか、「テントウムシは幸せを運ぶ」という言い伝えがあり、
また、イタリアでは、テントウムシが手に止まると、女性は結婚が近いといわれるとか。

 もともと、「テントウ」は、太陽神である天道、つまりお天道様からもらった名前。
西洋でも日本でも、テントウムシは神聖なものと縁が深いようです。


b0209810_11354555.jpg

           シセリー・メアリ・バーカー 『flower fairies of the spring』より


 一方、気の毒なのは、オオイヌノフグリ(犬ふぐりは犬の陰嚢のこと)。
実の形が似ているからと言いますが、こんなに愛らしいのに、あんまりなネーミングです。

在来種のイヌノフグリは、これよりさらに小さい紅紫系の花を咲かせ、
また、 「天人唐草(てんにんからくさ)」というちょっと神秘的な名前もあるとのこと。

そして、やはり同じ仲間の「フラサバソウ」 。
これも謎めいた響きなので、「雨を降らせる、降らさば草?」なんて早合点をしていたら、
植物学者のフランシェ氏とサバティエ氏の二人の名前をくっつけただけ…と知り、
ちょっと肩透かしを食ったような気分でした(笑)


 去年、 『木の名前』でも書いたように、名づけはその全体像を左右しがちです。

 誰だって、ハキダメギク(掃溜菊)とかノボロギク(野襤褸菊)なんて名づけられたら、
悲しくなるでしょう。
オオイヌノフグリにも、胸を張れるような名前をあげたい。
みなさん、この可憐な姿にもっとふさわしい呼び名をつけてあげましょう!



――な~んて、ホモサピエンスが熱く語ったとしても、
あちら(植物)にとっては、初めから住む世界が違うのですから、
たぶん、「勝手にやってよ」と言われるだけだろうな。



b0209810_11353145.jpg



 こちらは、名前でかなり得していると思われるヒメオドリコソウ(姫踊子草)
あ、これも「得した覚えはない」と言われちゃうか…(笑)
[PR]

ダフィー・ダウン・ディリーが町にやってきた

黄色いペチコートに緑のガウン着て


b0209810_11251824.jpg


庭の水仙が咲き始めると、
  『マザー・グース』  の中に収められているこの小さな詩を思い出す。

ラッパ水仙を擬人化して歌っているのだが、黄色いペチコートと緑のガウン(長いドレス)
というのは、トップスとボトムスの位置が逆のような気がする。

上着が黄色、スカート部分が緑となるはずなのに、変だなぁ、
とずっと思っていたのだが、
今回こんな挿絵を見つけて、なるほど! と納得。

b0209810_10571095.gif




美女を花にたとえるのはありがちだが、そのあらわすところは、
妖艶、優美、気品、あるいははかなげな風情などであることが多い。

『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』などと讃えられる美女は、
完璧すぎて近寄りがたいが、
「ダフィー嬢ちゃん」は元気いっぱい、野の香りをふりまきながら春の訪れを謳歌する、
気さくな女の子を連想させる。


桜の薄紅を日本の春の象徴とするなら、この鮮やかな明るい黄色は、
英国の春=暗く長い冬の終わりを告げる季節、の象徴のように思える。



 桂冠詩人、ウィリアム・ワーズワース(1770~1850)は、
イングランドの湖水地方を散策していたとき、
『一目見ただけで、ゆうに一万本はあると思われる』黄水仙の群生に出会った。
その光景からインスピレーションを受け、代表作のひとつともいえる次の詩を書いた。



「水仙」                   
                          ウィリアム・ワーズワース



谷や丘のはるか高みに浮かぶ雲のように
ひとりぼっちでさまよっていると
突然目の前に黄金に輝くおびただしい水仙の群れ
湖のほとり、木々のもと
そよ風に揺れて踊るがごとく



銀河に輝き瞬く星々が連なるように
入り江に沿って果てしなく続く一本の線となって
一目見渡せば一万本もの花が
頭を上げ楽しげに踊っていた



湖岸では波もともに踊っていたが
その歓喜は花に及ばず
かくも陽気な仲間の前で
詩人の心がときめかぬわけがない
しかしいつまでも見飽かぬその眺めが
僕にどれほどの恩恵をもたらしたか
気づくのはもっと後のことだった



空しさと寂寥に胸をふさがれ
寝椅子に横たわっているときに
孤独の賜物である内なるまなざしに
これらの花影がしばしば鮮やかによみがえり
僕の心を喜びで満たし
心浮き立つダンスへといざなうのだ


                               
                                    (拙訳のほどお許しください)



 今から200年前、高名なロマン派の詩人が目にしたという、この幸せな美しい情景を、
春ごとに思い描き、憧れずにはいられません。


b0209810_10573568.jpg




The Daffodils
              William Wordsworth


I wander'd lonely as a cloud
That floats on high o'er vales and hills,
When all at once I saw a crowd,
A host of golden daffodils,
Beside the lake, beneath the trees
Fluttering and dancing in the breeze.

Continuous as the stars that shine
And twinkle on the milky way,
They stretched in never-ending line
Along the margin of a bay:
Ten thousand saw I at a glance
Tossing their heads in sprightly dance.

The waves beside them danced, but they
Out-did the sparkling waves in glee:
A poet could not be but gay In such a jocund company!
I gazed - and gazed - but little thought
What wealth the show to me had brought.

For oft, when on my couch I lie
In vacant or in pensive mood,
They flash upon that inward eye
Which is the bliss of solitude;
And then my heart with pleasure fills
And dances with the daffodils.
[PR]
b0209810_2023679.jpg



門を出たとたん、すん、とした香りが、鼻先をよぎった。
甘いというより、清々しさがまさっている。でも、どこか人懐かしくなる香り。
やっと、沈丁花が咲きはじめたらしい


春の訪れを実感するきっかけは、たくさんありそうだ。
少しずつ日脚が伸びて、「おや、こんな時間なのにまだ明るい」と気づいたり、
庭先につやつやした球根の芽を発見したり、
「春一番」に、ヘアスタイルをだいなしにされたり、
キャベツを切る包丁の刃の当たりが、この前より柔らかいと感じたり。

重たいコートを脱いだ時、食卓にふきのとうがのぼった時、雪解け水の音を聞いた時……

それぞれの五感でとらえる春は、その人だけのものだ。




 私の場合は、風に沈丁花の香りを感じた時。

二月も末になると、春の気配がほんのり感じられるようになるが、
この頃はまだ、気候も気温も定まらない。
うららかな日ざしに心が弾んだと思えば、突然、寒の戻りや雪に見舞われて、
裏切られたような気分になる。
しかし、この花が咲き始めたら、もう間違いなく春がやってきた、と思えるのだ。



 沈丁花には、明るい青空より、しろがね色の曇り空が似合う。
まだ冷たい外気の中でこの香りに出会うと、

手紙を出したことさえ忘れかけた頃、
ポストに届いていた返信を見つけたような気持ちになる。


b0209810_2014474.jpg

[PR]
 きのこが好きでたまらない
 
 小さい頃に読んだ絵本や童話の影響かもしれない。
たいてい、可愛い妖精や小人の御用達になっていて、
地味で真面目そうな食用キノコや、クレージーな色彩の毒キノコが絵本のページに登場すると
胸がときめいたものだ。

「おひろいさん」できのこが収穫ができたらもっと素敵なのに。
このあいだ、市の保有林で一本だけ顔を出しているのを見かけ、
あまりの嬉しさに、しばらくしゃがんで眺めていた。
その時の私、きっといい顔をしていたと思う。
頑張って胞子を飛ばして、来年はもっと増えてもらいたい、
などとしみじみ考えているうちに、

「あんたは、きのこ博士か」、と我に返った。


観賞用はさておき、さすがに得体の知れないきのこを食す勇気はないので、
ここ何年かは出自の確かなシイタケの収穫を楽しんでいる。
私のようなキノコスキーのために、
窓辺やデスクの上でシイタケがたんまり収穫できる、
『シイタケ栽培セット』というスグレモノがある。
木屑を圧縮した台に菌が植え付けてあって、ときどき霧を吹いてやれば、
写真のようにぐんぐん大きくなる。
今回は気温がちょうどよかったのか、届いてから1週間もしないうちに、びっしりと生えそろった。
シイタケの芽がまだ小さいうちに数えたら、65個もあった。
2本セットで買ったので、130個(単純計算)のシイタケが取れるわけだ。イッシッシ。


b0209810_810498.jpg

3日目でぽこぽこと出てきました


b0209810_8112527.jpg

そろそろ収穫。手前のなんか、ちょっと妖怪っぽい?

 

 6日目に、最初の収穫ラッシュが来た。
シイタケおこわ、肉詰め、てんぷら、素焼きでお醤油をつけてシンプルに、
チーズを乗せておつまみ風に……
せっせと食して、小ぶりなものは茶碗蒸し用の干しシイタケにした。

b0209810_81215.jpg


 何よりも、くりくりした肉厚のシイタケを、
いしづきのところからモギュッともぐ時の快感といったらない。
これを仕事に出来たらどんなにいいだろう、
将来副業を持つなら、ぜったいにシイタケ採取にしようと心に決めた。


 
 しかし、行きつけの美容院で美容師のDさんにこの話をしたところ、
苦笑まじりに、「あれって、見た目より大変なんですよ」
ご実家がシイタケ栽培をなさっていて、小さい頃は弟さんとよく家業を手伝わされていたそうだ。
シイタケの菌を植え付けるホダ木を運んだり、シイタケを網に載せて乾燥させたり、
と忙しくて遊ぶ暇もなかったので、「今でもシイタケはトラウマ」と。



 脳天気に将来の抱負を語っていた自分が恥ずかしくなったが、
やっぱり憧れるんです、プロのシイタケもぎ。

b0209810_8113984.jpg



椎茸(その他いろいろなきのこ)栽培セットに興味がおありの方はこちら↓

http://www.rakuten.co.jp/drmori1/

[PR]
先月21日の大型台風で、私が住む地域の樹木が被った被害は大きかった。

隣の市では、瞬間最大風速43mを記録したと聞いたが、さもありなん。

市内の公園や緑地を歩いていると、周囲が一抱えもあるような大木が根こそぎ倒れていたり、
幹が途中からぼっきりと折れて痛々しい傷口をさらしていたり、という光景を
目にすることが多く、そのたびに暴風の威力に背筋が寒くなる思いをしている。

b0209810_144345.jpg



モミジやイチョウに先立って桜がちらほらと紅葉し始めたので、

毎年、風流な桜紅葉が見られるスポットに足を向けることにした。

目当ての三本桜を遠くから眺めて、あれ?と思った。
どことなくいつもの風景と違うから、不審に思いながら坂道を上って行くと、
道沿いに並んでいた桜の、一番奥の一本が根こそぎ倒れているのに遭遇してしまった。

横たわった太い幹から大きな枝が何本も突き出していたが、どれも無残に折れ曲がり、
この季節、美しく紅葉しているはずの葉はすべて茶色く枯れて、風にカサカサと鳴っている。

予想もしなかった光景に力が抜けてしまい、しばらくぼんやり立っていた。
ふと、倒木から張り出した枝の隙間に挟まれるようにして、
小さな桜の木が頼りなさそうに立っているのに気づいた。
かろうじて難を逃れた、といった格好で。


これだけの大木が倒れたのに、よくもまあ巻き添えにならなかったこと、
と感心して眺めていると、なんと、か細い枝先にぽつぽつと時ならぬ花が咲いている。
位置からいって、この若木は倒れた大木の実生のようだ。
つまり、この二本は親子関係にあったということかしら?
そう思ったとたん、目の前の光景が、みるみるひとつのストーリーにつながった。

b0209810_145920.jpg



 嵐の夜。
すさまじい暴風に耐えていた大木が、ついに力尽きた。
ごうごうと唸りを上げて吹きすさぶ風の音、地を揺るがせる倒木の音。
傾きながらも、傍らのわが子を犠牲にするまいという親木の最期の意思が勝って、
子どもは無傷の姿で残った。
 そして、足元に倒れ伏したまま枯れて行く親木のために、
せいいっぱいの哀悼をこめて季節はずれの花を咲かせた……


 大木が若木を損なわない位置に倒れたのは、単なる偶然なのだろう。
冷たい風にふるえている透き通るような白い花びらも、異常気象がもたらした返り花だろう――

この解釈なら科学的に説明がつきそうだし、理にかなってもいる。
そしてたぶん、真実だと思われる。
しかし、近年、植物にも心があると思うようになった私は、
胸のうちをよぎったこのいささかセンチメンタルすぎる想像もまた、
真実であってほしいと思うのだ。

b0209810_1453215.jpg

[PR]
  この中に生命が凝縮していることを思うと、畏怖さえ覚える――
それほどに細かいオレンジタイムの種を、
なるべく等間隔になるよう注意して、なんとか三つの鉢に蒔き終えた。

水やりで種が流れてしまわないように、腰水をして待つこと一カ月。

「芽が出ないなぁ、おかしいなぁ」と思案していた矢先、ついに発見した。
黒土に芽をだした最初の双葉は、川底に光る砂金の一粒にも見えたのである。

b0209810_1728136.jpg

 
 慎重に水やりを続け、風や、雨や、日差しの加減によって鉢を移動させながら、
遠いオランダの風土を勝手に思い描きつつ手をかけたおかげで、
無事に本葉も出て、5センチほどになった。
ここからぐんぐん育つことを見越して、肥料を入れた大きい鉢に植え替えたとたん、
爆発的に成長が進んだ。

 ここまでくれば、あとは収穫を待つばかりなのだが、ひとつだけ気がかりなことがあった。

香りがしない。

 葉っぱをちぎって食べると、なんともいえない青臭さだけが口中に広がる。
有体にいえば、「うへ~、ぺっぺっ」という感じ。

「味は残念だが、仕方ない。なんとなれば、ハーブ=香草なのだから。
そして、もっと大きくなれば、香りも出て来るのだ」
そう思えば、そんな気がした。

 
b0209810_17281332.jpg


 そして今日、草むしりの時に、はからずもその答えを知ることとなった。
家に入って急いでパソコンの電源を入れ、オレンジタイムの画像を検索。


ち、ちゃうやんか~!
 そう、私が、その名もゆかしいオレンジタイムだと信じて育てていた草は、
ついさっき、庭でオニのように引っこ抜いていた雑草と、寸分たがわぬ姿だったのだ。

そういえば――種をまくとき、培養土がちょっと足りなかったので、庭の土を足したっけ
そういえば――タイム(偽)の発芽の後から、ちっちゃい緑がぽちぽち生えてきたのを
「タイムさまの邪魔をするとは不届きな!」とばかりに、目につくたびに抜いてたっけ。
まさか、あっちが本物だったとは……。


自分のあほさかげんが、つくづくいやになる。


 幼なじみから電話があったので、事の顛末を語ってから、付け加えてみた。
「あたし、最近、ボケてきたのかな?
言いながらも、漫然と、「そんなことないよ」という返事を期待していた。
幼なじみの慈愛に満ちた声が、言った。

 
「そんなことないよ、だいじょうぶ!――40年前からそんな感じだった」

ハァ、そうですか。ありがとう。



b0209810_17283925.jpg

手前の三本が、思い込みオレンジタイム(奥はミニトマト)。
せっかくここまで育ったので、どんな花が咲くか見届けますわ(^_^;)
[PR]
『スカボロー・フェア』という歌をご存じでしょうか。
古くはサイモン&ガーファンクルが、
近年ではケルティック・ウーマンや、サラ・ブライトマンも歌っている。
  
♪スカボロー・フェアに行くのなら
  パセリ セージ ローズマリー&タイム
  どうかある人を訪ねて欲しい
  わたしがかつて愛した人を  


「パセリ、セージ、ローズマリー、タイム」と呪文のようにくりかえされる歌詞、
不思議な哀調をおびたロディーが心に残る。


b0209810_12595964.jpg


 二十数年前、結婚して新居をかまえることになった私が、
雑草だらけの狭い庭でハーブを育ててみようと思い立ったのも、
この歌の影響を受けたからだ。

 しかし、当時のハーブは、まだ私たちの生活にあまり浸透していなかったので、
名前の愛らしさに惹かれて買ったローズマリーも、友人に分けてもらったカモミールも、
育ててはみたものの、ほとんど使い途がわからなかった。 
特にミントは、ほかの草花が絶えてしまうほど良く茂ったが、やはり活用の機会がなく、
アイスクリームやヨーグルトに添えるのがせいぜいだった。

 おしゃれ度の高い雑誌に載っていた「フレッシュハーブティー」
を作って、カモミールの友人と試飲してみたが、漢方薬を薄めたような、
はなはだ頼りない味がする。

 私の舌が貧しすぎるのかと思い、彼女に感想を聞くと、
「いくらただでも、これじゃあね」ということだったので、安心した。

 この人の庭でも、ミントが茂り過ぎていた。
強引に料理の青味として使っていたが、
ある日、冷や奴にトッピングしたところ、
ついに温厚な夫さんが切れて、それがきっかけで大喧嘩になったという。
「そこまで」のことか? と思うが、当事者にとっては、そこまでのことだったのだろう。
夫婦が「それまで」にならなくてよかった。


「家庭料理の分野では、あまり独創的にならない方がよい」
と、新婚の私はここから学んだのだった。

b0209810_1305088.jpg


 今では、ハーブを使ったさまざまなレシピが手に入るから、
スーパーの青物売り場の一角にも、数本ずつきれいにパックされて並んでいる。

 うちの庭では今、
バジル・イタリアンパセリ・ローズマリー・オレガノ・セージ
の五種のハーブが育っている。
 種類は少ないが出番は多く、今や、昔なじみのシソやみょうがと同様、
料理のアクセントに欠かせない。

 このあいだ、ブログ友だちのTさんに、爽やか系ハーブの「オレンジタイム」
をすすめられたので、早速インターネットで種を購入した。
届いた種袋を見た瞬間、ほへ?と思った。
普通は、袋の裏に育て方の説明がついているはずなのに、それらしきものが見当たらない。

b0209810_1312738.jpg
 
かわりに、【栽培のヒント】
という項目が印刷されている。
なに?ヒントとな??

 『生産地の気候を参考にすること』
ふ~ん……その生産地って、どこに書いてあるのさ?

あった! 隅っこに、ごま粒くらいの文字が。
『生産地・オランダ』
知らんがな!

思わず突っ込みを入れた時点で、すでに雲行きは怪しくなっていたのである。
[PR]
by mofu903 | 2011-06-21 13:23 | 植物