カテゴリ:季節( 33 )


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この冬、東京ではまとまった雪が降らなかったせいか、例年以上に寒さが厳しいとは感じなかった。

でも、これはあくまで能天気な人間(私)の主観であって、小鳥たちにとっては、

ことのほか辛い冬だったようだ。


寒中でも花を絶やさないビオラや、二月の声を聞くなり顔を出すクロッカスのつぼみが、

ついばまれて見る影もなくなってしまうのは毎年のことだが、今年は、ハボタン、

こぼれ種育ちのノースポール、地面に張り付くようにして寒さに耐えていたサクラソウまでが、

あらかた彼らの胃袋に収まってしまった。

意に染まない食事だろうに。

(生きるためだもの、贅沢言ってられないわ)という嘆きが聞こえるようだが、

花はもっとかわいそうなので、普段は傍観者の人間が、一肌脱ぐことにした。

朝夕に、パンくず、節分豆の残り、古くなったお米をテラスにまいてやるのだが

(この人間はケチなので、決して新しいお米はまかない)、それでも、来ては去る小鳥たちの食欲を

満たすには及ばず、植物の受難はあいかわらずだった。


ところが、ここ何日か、ビオラとクロッカスが無傷で咲いている。

くりくり坊主だった花壇のこぼれ種組も、息を吹き返したように、再び新芽を伸ばし始めた。

小鳥たちの餌場が復活したらしい。

彼らのテーブルが豊かになってきたということは、春がもうそこまできているという証でもある。




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昨日は、雪にならないのが不思議なくらい冷たい雨が終日降っていたが、今朝はうって変わって、

明るい日ざしが枯れ芝を蜜色に染めている。

小さな花壇では、やっと黒土を押し上げたばかりのチューリップの芽が、びっくりするほど伸びていた。

一晩で3センチ!

時季を得たものの勢いはすごい、あんなに冷たい雨でさえ、成長の力に変えてしまうのだから。





日ざしに誘われて散歩に出ると、外気がいつになく甘い香りを含んでいる。

道端の沈丁花にも、つぼみがいっぱいだ。

「春隣」という言葉がある。

俳句では春間近の時候をいい、本当は立春の直前あたりをさす季語らしいが、

私は、この言葉に、ちょうど今頃の季節を思う。


寄り道をしながら、つかず離れずついてくる小さな春の子どもが、ときどきすぐ隣にやってくる。

そして、湿った柔らかな指で、私のまぶたや、耳たぶや、鼻の頭をつっつく。

 「見て、見て!」

 「ほら、聞こえない?」

 「何の匂いか当ててごらん!」







あれは、一年生が終わるころだったかしら、

<あなたが発見したことを、毎日ノートに書きましょう> 確か、そんな宿題だった。


「今日は、マフラーをわすれたけど、さむくありませんでした」

「学校のかえりに、いろんなおうちのやねが、ぴかぴか光って見えました」

2Bの鉛筆を握りしめ、わくわくしながら発見ノートに書き込んだっけ。



春の隣にいたら、そのときの気持ちを鮮やかに思い出した。




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by mofu903 | 2015-02-22 20:50 | 季節

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昨日は真冬並みの寒い一日だったのに、今日は一転して、絵にかいたような小春日和になりました。

というより、小夏日和と言った方がいいかな。

庭いじりをしていると、うっすら汗ばむほどでしたから。

延ばし延ばしになっていた、チューリップの球根の植え付けも、霜が降りる前に終わらせることができて

一安心。


この秋は何かと多忙で、花の種を蒔いている暇がありませんでした。

でも、来春、そよ風に優しく揺れる一年草が見られないのは寂しい。

そこで、せっせと、「ちまちまガーデニング」にいそしむことにしました。

花壇の隅や茂みの下、プランターの端っこなどに目を凝らすと、雑草にまじって、

見覚えのある小さな芽が見つかります。

こぼれ種から、早くも発芽したいい子ちゃんたちです。


ネモフィラ、オルラヤ、ノースポールといったわが庭の定番の二世たちを、

スプーンで根っこを傷つけないように掘り上げて、咲いてほしい場所に移植します。

ついでに、花が終わったオシロイバナやサルビアからも種をとって、その周辺にぱらぱら。

霜に当たると萎れてしまうインパチェンスやペチュニアなどは、切り詰めて小さい鉢に植え替え、

ビニールハウスに入れておくと、翌春、また茎を伸ばし、葉を茂らせて見事に咲いてくれるので、

それを庭に戻します。


本格的なガーデニングを楽しんでいる方から見れば、笑っちゃうような方法ですが、

四月になると、小さいながらそれなりの、なんちゃってナチュラルガーデンになります。

一粒の種から目覚めた命が、目を見張るほどの成長をとげる。

枯れたように見えても、いつのまにか小さな芽をつけている。

草花のパワーに、何度感動したことか。


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そうそう、庭でちまちまやっている最中に、蟻が米粒を運んでいるのを目撃しました。

遊びに来る雀のために、日の当たるテラスにまいておいたお米です。

あとをつけてみました。

自分の体の三倍はありそうな収穫物を、伸び放題の芝生ジャングルをものともせず、

巣穴まで延々7mほど――彼らにとっては気の遠くなるような距離――を引きずっていくのですから、

これまた、すごいパワーです。


蟻がお米を食料として認識しているのが意外でしたが、ふと、こんなことを思い出しました。

「サツマイモや、落花生を、お日様にさらすと甘くなる」

それと同様の現象が、お米にも起きているのでしょうか。

蟻って、甘いものが大好物ですものね。

人に、花に、虫たちに、優しい小春日和でした。



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いつもの散歩道で見かけたおしゃれさん。

カラスウリのペンダントが素敵!^m^
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by mofu903 | 2014-11-27 23:44 | 季節

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アンドレ・ダーハン『カミラの夢』




この季節、あなたに宛てて手紙を書いたのは、ついこの間のことと思っていたのに、

もう2年もたっていたなんて。


今年の夏は、珍しく引き際を心得ていましたね。


9月に入るとすぐに気温が下がり始め、いきなり冷たくなった夜風には、とまどうほど。


この夏の潔さ、秋の精勤ぶりに、喝采をおくりたい気分です。


おかげで、忘れかけていた初秋の風情を、こころゆくまで楽しめたのですから。



9月の夕方。こんなに優しい時間がほかにあるでしょうか。


光と影がほどよい均衡を保ち、目に映るものはみな、しっとりと落ち着いています。


明るいまま暮れなずんでいく空は、ところどころに薄紅を載せた水色。


ちぎり絵の和紙のような雲がつつましく浮かんで……


この時季にしか見られない夕空。


夕焼けのない淡い空。



お隣の柿の実が、色づいてきました。


まだほとんどが、青白く潤んだ月のよう、

でも、そのうち幾つかは、既にトパーズの光沢を添わせています。


虫の声も、日が沈みきらないうちは控えめです。


ときどき、フィリリリリと高い声で鳴くのは、草雲雀。


チ、チ、チ…とかすかに鳴いているのは、鉦叩きでしょうか。


なぜかこの声を聞いていると、昔々、従姉が熱心に編んでいた、

薄紫と草色のリリアンが目に浮かびます。



光も風も、独特の雰囲気を持っているでしょう?


透明ではなく、曇ってもいず……

たとえば、学校の理科室にあった、プレパラート用のカバーガラス、

あのガラス越しに風景を見ているような、不思議な感覚が呼び起されます。



きっと、一週間もたたないうちに、金木犀の香りがあなたに届くことでしょう。


それとも、銀木犀のほうがお好みだったかしら^^


大気には陽が溶け込んでラメのきらめきを放ち、空は紺碧に澄み渡って、

季節は少しずつ華やかになっていきますね。



素敵な秋をお過ごしください。



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先日、おつきあいの長いブロ友さんに、4周年を祝うお言葉をいただき、

「えっ、そんなに続いてたっけ!?」と、びっくり。


教えていただくまで失念していた自分に、もっとびっくりでした。


途絶えがちな更新とはいえ、飽きっぽい私がここまで続けてこられたのは、

ひとえにご訪問くださる方々の応援のおかげです。


それがなければ、とっくに放り出していたはず。


本当に有難うございます。どうぞこれからも、よろしくお願いいたします。




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by mofu903 | 2014-09-24 17:45 | 季節
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夜更け。不意に、しめやかな雨音に気づく。

そういえば、梅雨入りを知るのは、いつも耳からだったように思う。



梅雨入り初日の雨は、いわゆる本降りと小雨の中間だった。

白灰色の空を見上げても何も見えないが、すっかり濃くなった木立を背景にすると、

中空と地を結ぶ無数の銀糸が目に入る、そんな雨だ。



都に雨の降るごとく/ わが心にも涙ふる

心の底ににじみいる/この侘しさは何ならむ   (鈴木信太郎訳)



フランスの詩人ポール・ヴェルレーヌがうたったように、梅雨どきはわけもなく感傷的になる。

私もずっと、このうっとうしい季節が苦手だったが、最近では、一年の半ばにあたるこの時期、

来たるべき猛暑を前に、心を鎮めて物思いにふけるのも悪くないと思うようになった。



一年前の今頃も、窓辺で雨を眺めていることが多かった。

声だけはお馴染みになったホトトギス、重たげに頭を垂れたあじさいは、今年も変わらない。

それにしても、一年のめぐりの早いこと。

歳を重ねるにしたがって、時の経過の速度が増すと聞いていたが、本当にその通りだった。


どうしてかしらね、と娘に聞くともなしに聞いたところ、彼女はそのからくり(?)を、

数学の先生に教えてもらったことがあるという。

ジャネの法則といって、『五歳の人間にとっての一年は、人生の五分の一であるが、

五十歳の人間にとっては、五十分の一にあたる*』というのが、その理由だそうな。

なるほど、それで一年が短く感じるわけね、と納得。



有名な学説に続けるのは気が引けるが、私なりに考えていることもある。

これには、自分の余命に対する意識が、関わっているのではないかしら、と。

若いうちは、持ち時間がたっぷりあるから、時の経過に頓着することもない。

しかし、平均寿命の半ばを過ぎる頃から残り時間が気になってきて、

とりたてて意識しなくても、一日一日が、以前より貴重に感じられてくる。

そして、貴重なものは、ことさらうつろいやすい。

ああ、もう一日が終わってしまった、また一年がたってしまった、たいしたこともしないうちに……と、

ため息まじりに振り返る。

時の経過が早く感じられるという錯覚は、そういった小さな罪悪感と、焦りと、

自己憐憫に裏打ちされているような気がする。少なくとも、私にとっては。




香水を小さなカプセルで買える店があって、いろいろな香りを試しては楽しむことができる。

ここのカタログにあった、「ステイ」という名の香水に心が惹かれた。


ステイ……たとえば、最後のばら一輪。

真紅の花びらは、雨上がりの日ざしに透けて、ベネチアのガラス細工のようだ。

梢で揺れている、夏の夕べの、うっとりするほど典雅な光。

いつまでもここに、同じ姿でとどまっていてほしい。


しかし、この願いは、いかにも儚い。

やがて日は沈んで、宵闇が降りてくる。

ひとつ屋根の下に集う家族も、「とどまって」と願う自分も、刻一刻と流されている。



かつて、思春期の息子に、聞かれたことがある。

「人って、なんのために生きてるんだろう」

私なりに考えて、こんなふうに答えた。

「『人生は生きるに足るもの』ということを知るために、生きているんじゃないかな」


数年後には娘にも同じことを聞かれ、同じように答えた。

詭弁ともいえるこの答えは、私の真情にすぎず、真実からは遠いだろう。

しかし、「時よ、止まれ」と、切に願う瞬間があることを知っているなら、

その人にとって、確かに、人生は生きるに足るものであるに違いない。



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*ジャネの法則
19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネが発案し、甥の心理学者・ピエール・ジャネが著作で紹介した法則。
主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象を心理学的に解明した。
簡単に言えば生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)
<wikipediaより>
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by mofu903 | 2014-06-15 08:25 | 季節
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花鋏を手にして、久しぶりに早朝の庭に出ると、どこか覚えのある音が耳に飛び込んできた。

カラカラカラ、カラカラカラ……

(これ、何の音だったかしら?)

振り仰いで、合点がいった。

隣家の庭先に高々と揚げられた鯉のぼり、そのてっぺんの矢車がくるくると回って、

爽快な音を立てているのだった。


それに耳を傾けていると、不意に、周囲がさまざまな音に満ちていることに気づいた。

今、頭の上を過ぎ去った羽音は、餌を運ぶムクドリだろう。

そこかしこの軒先から、ぴわぴわぴわぴわと、甲高くひっきりなしに鳴く雛たちの声がしているもの。


もっと高いところからは、「うれしー、うれしー」、ときに、「うれぴー」と聞こえる、

この季節を謳歌しているような陽気な歌声が降ってくる。

毎年、何の鳥なのか調べてみようと思いながら、それきりになっている。

ウグイスは、この時期ともなると、いわゆる老鶯になって、「ほー、ほけきょ・けきょ」と、

最後にちょっとしたおまけがつく。

三月に聞く初音の、透き通るような典雅さはないが、これはこれで、熟練した歌手がみせるアドリブの妙が

うかがえて楽しい。

ラベンダーの香に誘われてやってくる、ミツバチの忙しげな羽音。

若葉を広げ始めたハナミズキの梢を渡っていく風。

そして、さわさわといっせいに頷く花群。


眩しい新緑の中、今年もまた、五月の音に囲まれている幸せを思う。


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しかし、去年とは少し違っているところもある。

たとえば、道を隔てたお宅から、生まれたばかりの赤ちゃんの泣き声がすること。

まだか細いけれど、そのうち、元気いっぱいに響き渡るだろう。

たとえば、一人暮らしをしていたお向かいの奥さんの、お年寄りにしては豪快な、

おっほっほっほ、という笑い声が聞こえなくなったこと。

去年の秋、「寝たきりになったので、介護施設に入ることになりました」と、

姪御さんが挨拶にみえた。

奥さんが丹精していたばらの葉陰に、今にも開きそうな蕾が見える。

風がよぎるたびに、徒長した枝が、主のいない家の窓に触れて、小さな音を立てる。





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追記:文中の「うれぴーさん」は、ヒヨドリと判明しました。ご教示くださったtetteさん、ありがとうございました。
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by mofu903 | 2014-05-05 14:32 | 季節
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熊手で落葉をかき寄せる手ごたえが、たまらなく好きなので、

暇を見つけては庭に出て、ガサガサやっている。

小春のうららかな光を浴びながら、のんびりやるのもいいし、

今にも時雨が来そうなぴりっとした空気の中で、一心に励むのもいい。



落葉のほとんどは、ハナミズキが散らしたものだ。

本数は少ないが、夏の間に茂らせた葉は結構な量になるから、それなりに、かき甲斐がある。

私はもともと乾いたものが好きなので、手と耳から伝わってくるパリパリした質感を楽しみながら

熊手を無心に動かしていると、「至福」という言葉が浮かんでくる。


「へぇ、そんなことで?」と思われる向きもあるかもしれない。

確かに、ときどき、「これがお酉様の熊手で、大判小判をかきよせているんだったら、豪勢なのに」

と、想像しないわけでもない。


しかし、それが現実になったら、「至福」などと悠長なことは言っていられないはずで、

誰かに見られてやしないか、罰が当たりやしないかと、あっちこっちに目を配りつつ、

血圧と心拍数があがりっぱなしになるに違いない。

落葉を集めて、 たき火=焼き芋 の思い出に浸っているくらいが、私のような小心者にはちょうどいい。


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庭仕事なら、無心になれる草むしりも、きらいではない。

しかし、無心と言っても、せいいっぱい生きている命を絶つことへのうしろめたさも

うすうす感じているので、手を休めた拍子に、その小さな罪悪感にチクリと胸を刺されもする。



あれは、五月ごろだったかしら。

公園の前を通りかかったら、管理会社の人たちが芝生の手入れのまっ最中だった。

あちこちで電動芝刈り機がうなりをあげていて、風に乗って運ばれてくる青臭い、

というより生ぐさい臭いに、思わず息を止めて通り過ぎた。

新緑の季節、普段だったら深々と吸い込みたくなるような香りが漂っているはずなのに……

高速回転する刃で、痛めつけられ、傷を負ってショック状態になっている芝草が、

そんな臭気を発するのも、無理はない気がした。





その点、枯葉集めは、心に一切の負担がない。

一枚一枚の葉っぱの、「生ききった」という充足感が、静かに、ほのかに伝わってくる。

あるがままに、というメッセージが心に響く。



「あるがまま」生きましょう。私たち、また、会えますから。


近づく冬を前に、落葉をかき寄せるひとときは、やはり至福である。


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by mofu903 | 2013-11-22 01:10 | 季節

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長かった夏が、移ろいの支度をはじめました。

いつのまにか間遠になった蝉の声のように、

あんなに眩しかった陽光も、濃密だった影も、少しずつほどけてきました。




先日の、親友との別れは、あまりに突然でした。

でも、それが命というものなのでしょう、受け入れられるか否かにかかわりなく。

現世はいつも、誰かが去ったあとの空間なのかもしれません。






夏の終わり。日が傾きかけるころ、木々の葉には無数の黄金が宿ります。

吹き過ぎる風に揺すられて、黄金の光はいっせいに零れ落ちます。

風が静まると、枝葉はまた、黄金を宿して――。

毎年、これを目にするたびに、心は懐かしさと切なさに包まれ、どこか遠くに運ばれていきます。





たとえ、ありふれていても、報われなくても、理不尽であっても、人生は金。

それが、命の色だから……そんなふうに思います。




もうすぐ、安息の秋が来ます。


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by mofu903 | 2013-09-02 00:19 | 季節
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いらっしゃいませ。ご注文をどうぞ。

迷っておいでですか?

それでは、まず、お好みのベースをお選びください。

潮風が吹き渡る南の海。

滴る緑におおわれた深い森。

ほかにも、いろいろと取り揃えてございます。



ますます迷ってしまわれた?


それでしたら…この美しい杏色はいかがですか?

夕焼けでございます。

はい、それでは、こちらをベースにお作りいたしましょう。



実は、お客さまがおいでになったときから、これを選ばれると思っていました。

失礼ですが、少々お疲れのようにお見受けしましたので。

そうなりますと、ヒグラシの声ははずせないところですが…あいにくと切らしてしまいました。

風鈴の音は?そうですか、あまりお好みではない。

それでしたら、アンニュイなボサノヴァギターの調べなどはいかがでしょう。


そして、ゆうだちの実を絞った、雨あがりの香りを一滴。



こちらのマドラーで、底の方からゆっくりステアなさってみてください。



いかがです?

ああ、お気に召していただけましたか。

それは、ようございました。


このマドラーには、そのお客さまだけの、夏の記憶をよみがえらせる力があるのです。

何でできてるのか、って?

どなたも、そうお尋ねになりますが…簡単に申し上げれば、

切り取った時間軸を延ばしてひねって作ってあるのですよ。


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さっきからずっと、狐につままれたようなお顔ですね。

いっそ、すべて夢と思っていただければ。



こちらに並んだ瓶ですか?

女性のお客さまは、ほとんどの方が、光物に興味をお示しになりますね。

光もさまざまですよ。

木洩れ日、天の川の銀砂、朝顔の露、ほたる。

ひっきりなしにパチパチ弾けているのは…はい、おっしゃるとおり、線香花火です。


そうでした。当節、仕入れが難しいほたるの光のみ、時価で承っております。

先に申し上げておかないと、あとから「ぼったくり」などと、

苦情をおっしゃるお客さまもおいでですので。



先ほどのお客さまなどは、真夜中の雲を雷鳴で割って、稲光を加えるというご注文でした。

念のために、悪酔いの危険性についてご説明申し上げましたが、

失恋の憂さを晴らしたいからぜひとも、とおっしゃいましてね。

案の定、ひどい頭痛を訴えられて、早々に引き揚げられました。





真夏の夜は、これからが本番ですが…そろそろお帰りですか?


え?財布をお忘れに?

ははは、そそっかしくていらっしゃる。

では、お代は結構でございます。いえいえ、ご遠慮なく。


猛暑に次ぐ猛暑で、近年、お客さまのように夏嫌いになる方が増えておいでのようです。

私どもは、皆さまに夏のよさを思い出していただくために営業しているようなものですので。




本日は、ご来店ありがとうございました。

またのお越しをお待ちしております。



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by mofu903 | 2013-07-20 00:20 | 季節
暇ができると、庭に出てビオラやロベリアの花がらを摘む。
芝生に出る雑草の、まだ小さいのを、プチプチと引っこ抜く。
今まで、余暇をどうやって過ごしていたんだっけ。
誰かと会っておしゃべりしたり、映画を見たり、読書をしたり?

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この頃はそういう時間より、知らず知らず、無心になれる時間を求めている。
何も考えないで植物に触れているときの安息は、どんな楽しみにもまさる気がする。




花壇のほうで、カサカサッと音がした。
チューリップの根元で、赤茶色のトカゲが二匹、もつれ合っている。
一匹が大きく口を開け、もう一匹の首をがっちり横咥えにして、離さない。
輪になった形で、二匹はぐるぐる回っている。

ケンカしてるの?
劣勢のトカゲに味方しようと近くまで行って、気づいた。



この二匹は、カップルだ。
黒ビーズみたいな瞳が、きらきら光っている。

――小さな私の庭で、小さな生き物たちが、それぞれの生を謳歌している!
そのとき、風が吹き渡って、花々がいっせいにうなずくように見えた。
そうだよ……そうだよ……そうだよ……




いつのまにか、目に涙が浮かんでいた。
これは、何の涙?
悲しいの? 嬉しいの? 感動したの?

わからない。
感情の自覚がなくても、涙は流れる。
それを、今日はじめて知った。





******

 去年、パッケージの表示が違っていて 、結果がサプライズになった「バレリーナ」。
フレッシュなオレンジ色、そして、アニス(西洋ウイキョウ)のような芳香が気に入ったので、
今年は正式(?)に、咲いてもらいました^^
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このあたりには、紫チューリップの球根を植えたはずなのに、ひとつも咲きませんでした。
代わりに、ピンクがこんにちは。これはこれで可愛いけど…今年も表示違いかしら??
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真冬から咲き続けてくれるビオラは、優等生。この深みのある赤が好きで、
毎年育てています。これも、こぼれ種で、ここまで大きくなってくれたんですよ^^
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ご来訪くださる皆様、いつもありがとうございます。
最近、またちょっと忙しくなってしまい、それに伴う眼精疲労がひどいので、
(ドライアイ&目がしょぼしょぼ)少しの間、お休みさせていただきます(´=ω=`)

小説ブログ のほうは、今まで通り、火・金に更新する予定です(娘にアップ作業を頼みました^^)
どうぞよろしくお願いいたしますヽ(´・∀・`)ノ


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by mofu903 | 2013-04-13 20:41 | 季節
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「春の朝(あした)」


時は春、

日は朝、

朝は七時、片岡に露みちて、

揚雲雀なのりいで、

蝸牛枝に這ひ、

神、そらに知ろしめす。

なべて世は事も無し



 ―ロバート・ブラウニング(1812~1819)・イギリスの詩人―    



 


どんな言葉が好き?

こうなふうに聞かれたら、「再生」と答えるだろう。

「誕生」という言葉がずっと好きだったけれど、

いつしか、「誕生」も「再生」の一環と思えるようになったから。
 

三月、さまざまな再生を目の当たりにして、思わず感嘆の声をあげる。

こんなにも多くのものたちが、息をひそめて出番を待っていた!




私の神様へのお願いは、いつだって聞き届けられない。

でも、それも仕方のないこと。

神は、すべての命を公平に司っておられるのだから。
 

今、この時を生きる無数の命は、それぞれ異なった望みを持っている。

たとえば、私のお願いと、このテントウムシのお願いが、競合しないって誰に言える?


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一昨年、もらったシクラメン。夏越ししたシクラメンは初めてなので、嬉しくて。
こんなに見事に咲いてくれるとは思いませんでした。

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こぼれ種から発芽したロベリアも、室内に置いたら、こんなに大きくなりました。
今日、晴れて庭に復帰。

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去年の春先に芽出しの鉢植えを買い、花が終わった後、庭に下ろしたヒヤシンス。
一年もの。
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二年もの。
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三年ものは、さすがに蕾がつきませんでした。
葉が枯れたら掘り上げて、肥料を足して植え替えてあげよう。




********

みなさま、ご訪問ありがとうございます。
このたび、娘の反対を押し切ってこちらのブログも始めました。

離陸直後の墜落もあやぶまれますが、
もし、すっごくお暇がありましたら、お立ち寄りいただければ嬉しいです(*´ω`*)ゞ
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by mofu903 | 2013-03-19 20:15 | 季節