カテゴリ:詩・俳句( 7 )

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傘に無邪気に跳ねていた雨の音が、いつのまにか聞こえなくなった。


落ちてくる水の粒は、きらめきを増して、気づけば、雪に。





ためらうように舞う雪が、川面に吸い込まれていく。

その直前の白さが、目に残る。


水に降る雪 白うは言はじ 消え消ゆるとも ※



バレンタインデーから五日目の、雪。


 
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※ 閑吟集(歌謡集・1518年成立)より
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こっそりとサンタが来てくれてました。なんて久しぶり!^^



この冬の日本列島、やたらと寒くありませんか?

この寒さがもともとの出不精(そしてデブ性)に拍車をかけて、

目下、デラレネーゼ症候群を発症してます。


まず、朝起きた時、布団から出られない。

のぼせるまで、バスタブから出られない。

もちろん、こたつから出られない。

そして、よほどの用事がない限り、家から出られない。




自分が意志の強い人間だと思ったことは、生まれてから一度もありませんが、

これほど意志薄弱だったとは。


とりわけ、寝る前にちょっとだけのつもりで入ったこたつの魔力は半端ない。

あのトロトロのあったかさにがんじがらめになっちゃうと、

寝室までの数メートルの距離がすさまじく遠く感じられます。

未練を断ち切って出ようとしても、

「もうちょっといいじゃな~い、ね?♥」


と、ナンバーワンホステスに甘い声でひきとめられるオジサマのように、

「しょうがないな~、もうちょっとだけだぞ?」と骨抜き状態。


こんなことじゃダメだ!と、思い立って試行錯誤を重ね、

ついに誘惑に対抗する必殺技を編み出しました。

それが、「ちよこれいと脱出法」。

皆さんも階段などで遊んだ記憶がおありでしょう。

じゃんけんで勝った人が自分が出した手の歩数だけ進むというアレです。

チョキはチョコレート。パーはパイナップルで、グーはグリコ。

相手がいないとダメという欠点はありますが、

我が家では、たいてい娘も一緒に虜になっているので好都合です。


たとえばチョキで勝ったとすると…

あら不思議、あれほど出たくなかったこたつからするりと抜け出して、

「ちよこれいと」と6歩進むことができます!


くだらなすぎ、とバカにしていた娘だって、結局は、グリコと言いつつ、

こたつから三歩ぶん遠ざかっているのですから、効果はてきめん。

小さいころから体に馴染んだ動作というのは、脆弱な精神を打破するパワーがあることを知りました。

こたつから出るのが最大の目的なので、

自分のやってることが空しくなった時点でゲーム終了。


んが、妙に熱くなっちゃった私たち。

毎晩、階段を下りて洗面所に行くまで、戦い続けてます。

みなさまもぜひお試しあれ。

え?試したくない?まぁね……お気持ちはわかりますが。

だまされたと思って……(笑)


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 私自身の心の声は、やめときなよ~、と言っているのですが、

ジャレのヘボ俳句が楽しみ、という有難いお声もかすかに聞こえるような、

聞こえないような。

あ、やっぱり聞こえてる…う、うれしいよ(つω-`)

今年もお目汚しですみません(汗



石仏に供物のやうな落椿

人ら去りわれは虜に夕桜

仁王像に踏まれし邪鬼や山笑ふ

夜の雨のひそけさ突きてほととぎす

草むしり独語の癖を憚らず

七月の風晩学の書をめくる

神隠しのごとく人無き炎暑かな

蜩の声や散華となりて降る

家に人待たせてあれど月良夜

穂芒に秋染み入りて日暮れぬる

初恋はともにオリオン仰ぐのみ



肝心の「年の瀬」の季語で苦心していたら、帰省中の彼が代吟してくれました(。-∀-。)

年越せばまた仕事かと蕎麦食べる(by息子)


「年越しそば」と「年越せば」が韻を踏んでるそうです。

正直、そんな技巧はいらなかった。



今年もいよいよ、カウントダウンに入りました。

ご訪問くださったみなさま、本当にありがとうございました。

ジャレットのブログにたまたま迷い込んでしまわれた方、恐縮です。

怖いもの見たさでリピートしてくださる方、心からの感謝を。

来年もよろしくお願いいたします。

どなたさまにも、素晴らしいお年でありますように!


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ほんの小娘の頃、中国を旅したことがある。


日中共同声明から8年たった当時もまだ、中国政府による観光客の受け入れは
非常に少なかったので、父の出張に同行できたのは、幸いだった。

 桂林から船に乗って漓江を下り、南寧という街を訪ねたのだが、
その際、とある館に滞在することになった。
今思えば、文化大革命で没落した富豪の屋敷だったのかもしれない。


 確か三月の初めだったが、南寧は文字通りの南国で、すでに遅い春の陽気だった。
広い庭園には、緑碧の水をたたえた池があり、
夜になると水面すれすれに虫を追い求めて蝙蝠が飛び交った。
月はおぼろ、園内には羊蹄甲という異国の大樹がそびえ、
枝々に咲き誇る紫の花が風に揺れていた。


 同行の人たちはみな雑技団の演技を見に行ったが、
旅疲れしていた私は、ひとりで館に残っていた。
すべてが幻のように暮れなずむ風景のなか、石のベンチに座っていると、
通訳として旅を共にしていた偉(ウェイ)さんという男性がひょっこりやってきた。

流ちょうな日本語を話す偉さんと会話しているうちに、
ふと彼が、「こんな古い詩があるのですが」と前置きしてから、
耳に柔らかな中国語の小声で、この七言絶句をそらんじてくれた。




春夜」                       蘇軾  
  

  春宵一刻値千金  
  花有淸香月有陰  
  歌管樓臺聲細細 
  鞦韆院落夜沈沈  


 春の宵は一刻が千金に価するほど素晴らしい
 花は芳しく香り月の光がさやかだ
 先ほどまでの歌舞管弦もひっそりと静まり
 中庭ではブランコがゆったりと揺れて夜が更けていく


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 一刻の値段が千金とは、「白髪三千丈」のように、中国らしい誇大化された表現だが、
たいていの人が、金銭では決して購えない、貴重な時間が存在することを知っている。

 この詩の根底にあるのは、過ぎ行くものを「惜しむ」という感情だ。

「春はあけぼの」と、わが国の随筆の名手、清少納言は言い切ったが、
季節や時間帯にかかわらず、すべてが好ましい情景に出会って心が震える瞬間を、
誰もが経験していると思う。

 それでもなお、春の宵、という言葉に格別心がときめくのは、
この一刻が「若さ」を象徴しているからではないだろうか。
過ぎた時は二度と戻ってこないけれど、春の夜の薄絹のような空気には、
切なく甘美な記憶を甦らせる、特殊な効果があるようだ。

 
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自負と劣等感のはざまでサーカスのブランコのように揺れながら、
もどかしく悩み多い日々を送っていた二十歳のころ。
でも、振り返ってみればまぎれもなく、私は心身ともに人生の春にいた。

「今、あなたは若い。それが値千金ということなの」と、当時の自分に教えたい。
叶うものなら。



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 築年数が増えるにしたがって、床暖房の効きが悪くなってきた。
ソファに座っていると、足元からそわそわと冷えて来る。
暖を求めて家の中をさすらっていたが、まだ冬は長い。

「ねえ、ねえ、久しぶりに電気ごたつを置こうよ」
ものぐさなウチの家族のこと、私のこの提案に二つ返事で乗って来るはずだったのに、
予想はあっさり裏切られた。

「こたつ回りが散らかるから」とか、
「こたつに入ると出るのが億劫になるから」とか、
妙にいい子ぶった理由をつけて、気乗りしないようす。

 日頃から、『整理整頓』や『精勤』という言葉とは程遠い輩がこんなことを言うなんて、
超自然的パワーに操られているとしか思えない。

だから独断で、いまどきの省スペースこたつをネット注文した。

 案の定、届いたその日から、夫も娘もすっかりこたつの常連さんになってしまった。

確かに、こたつ回りは散らかる。
一度入ったら、出られない。
その通り、その通り。

 しかし、家に一人の午後、こたつに入って遅いお昼を食べるのが、
目下のところ、私の至福の時間になっている。

 塩吹き昆布のお茶漬けが好きで、これだけで二膳、いや三膳は食べられそうだ。
あったかいごはんに、磯の香り高い肉厚の昆布をふたつ乗せ、お茶は出花を注ぐ。
(塩吹き昆布が小倉屋山本の「えびすめ」だったら言うことなし)

 しわ寄せが来ている仕事のことも、
年賀状(まだ)のことも、大掃除(たぶんスルー)のことも忘れて、
こたつに入ってひたすら昆布茶漬けを食べていられたらどんなに幸せだろう――
などと師走の二十九日に言っているのだから、「ろくな主婦ではない」との自覚はある。



 年末、忙しい皆さんが読んでくださるのに値する情報を提供すべきところ、
「こたつで茶漬け」もないものだが、これといった出来事もなく……

 そうそう、あれはおとといのことだったかしら、
季節外れのムクドリの住居争奪戦があった。
今年の春に書いたように、例のギャーギャー声に驚いてベランダに出ると、
目の前で二羽のムクドリがくんずほぐれつの真っ最中。
そのうち勢い余ってベランダに落ち、そのまま上になり下になりして闘い始めた。
洗濯物を干し終わったところなので、汚されてはかなわない。
「あのぅ……」と声をかけてみたが、二羽ともまるで無視。
それどころか、奥さんたち(ムクのね)に金切り声で威嚇され、あわてて家に引っ込んだ。

 それにしても、この時期に、ムクドリが営巣するとは思わなかった。
鳥も虫も植物の世界でも、これからますます季節はずれが多くなっていくのだろうか。


 住居といえば、この「ミドリちゃん」のおうちも快適そうでしょう?
写真中ほどの小さいミニトマトにご注目ください。

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私だったら、大好物のモンブランの家に住んでいるようなもの。うらやましい限りだ。

 十一月なかば、球根を植えるために、このミニトマトを抜いたのだが、
まだこういう青い実がちらほらなっていた。
そのまま捨てるのももったいないので収穫し、出窓で日に当てること四十日余り。
ついにここまで色づきました。
(味の方は…うう、残念……。)

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「年の瀬俳句」で、こんな辺境までお越しくださる方が少なからずおいでなので、
今年は<パート2>をやらかさせていただけたらと……
 (ええ、そうですね、すみません、すみません(汗)

  

  極寒のかけら潜める鍵の穴
  
  梅守りは花少なきを詫びにけり
  
  闇もなほ優し雛の間(ひいなのま)にあれば
  
  賜りしごとく総身に花吹雪
  
  一山の芽吹き瞬時も休まざる
  
  風もわれも行方は知らぬ青葉騒(あおばさい)
  
  剪定の腕を誉めしがただ寡黙
  
  朝顔に蔓の気儘を許しけり
  
  大道のピエロも仮寝秋暑し
  
  挨拶にまずは野分の逸れしこと
  
  行く秋や壊れしままの小鳥籠
  
  寒月や恋しき人のみな遠き




 さて、息子が任地から帰って来るようなので、そろそろ支度にかからなくては。

今年のご来訪・ご厚誼に、篤く、熱く、お礼を申し上げます。
どなたさまも、お健やかに御越年くださいますよう
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   <ピアノ弾き>   

 
    恋人の骨を叩くように

    鍵盤を叩く

    愛をこめて

    憎しみをこめて


    決して変わらない心はなく

    ひとは去っていったけれど

    永遠に響きつづける音はあるはず

    無限に連なるオクターヴのどこかに

    獣のもつ琥珀の目の光のような 音


    しかし ピアノ弾きの前にあるのは
  
    7オクターヴ1/4 の音域

    88しかない鍵盤

    そこには 永遠の音はひそまない


    呼びおこすそばから音は死に

    鍵盤の上に降りつもる

    ピアノ弾きの指紋は 音の死骸


    恋人の骨を叩くように

    鍵盤を叩く

    憎しみをこめて

    愛をこめて

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  ひとりの朝食は

  トーストとコーヒー 

  窓の外には

  枯色の日ざし


  質素で香ばしい風景にとりまかれて

  わたしは

  心をなごませている

  澄みとおった瞳に

  みつめられているように


  春はまだ

  水に映った新月のように

  淡い


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 これを書いたのは、二十歳を少し過ぎて、だと思う。
少女時代から夢見がちで本ばかり読み、ことに詩の世界につよく惹かれていた私は、
長じて詩人の高田敏子先生のご指導を受けることになった。
先生は、若かった詩人のたまごたちを、とても可愛がってくださった。
高田先生が亡くなられて二十一年たった今も、
童女のようでいらした温顔を忘れることはない。

先日、当時の詩友だった詩人から詩集をもらった。
往時の溌剌とした感性に、さらに磨きがかかった読みごたえのある作品群。
懐かしさとうれしさと、わずかな切なさを味わった。

「若気の至り」そのものだった私の詩集は、私の中で、ずっと封印していた。
甘ったるくて、世間知らずで、鼻について、見るのもいやという期間は長かった。
しかし、歳を重ねたいま、
欠点だらけでも愛しい、わが子を見るような気持ちになっている。
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知己に文才のある人が多いので、詩集や歌集、句集をいただくことが多い。
もともと詩や短歌は好きだが、俳句となると、食わず嫌いなところがあった。
しかし、国内の俳句人口は、数百万人を超えるとも言われているし、
海外でも、Haiku は、世界最短の定型詩として知れ渡っている。
そういえば、中学校の頃、国語の授業の一環で、俳句を作らされたことがある。
その時は、思いのほかすらすらと出来て、調子に乗っていっぱいつくって、

「質より量にもほどがある!」と、先生に叱られた。

 もともと日本人には(今の若い世代の人はわからないが)
七五調のリズムは理屈抜きで体に沁み込んでいるようだ。
交通標語など、その最たるものである。
 
 母は、句作人生が長い。かれこれ四十年になんなんとしている。
八十を過ぎても、いまだに句作に明け暮れているのを横目に、
  しめしめ、いいボケ防止だ
くらいにしか思っていなかったのだが、
 最近、私自身も、じょじょに俳句に対する興味が湧いてきた。
いくら母にすすめられても、頑として拒否していたのが、
どういう風の吹き回しか。
結局、そういう年齢になったということだろうか。
 
 でもね、作ってみるとこれが意外とおもしろいんです。

 どこがおもしろいかを、超初心者としての視点から言うと、
十七文字の中に、見たこと・感じたことをいかにうまく押し込めるか、という点である。

 いわば、言葉のはめこみパズルのようなもの。
本格的に学ぶ上での決まりごとはいろいろあるそうだが、
最低限、季語(季節を表す言葉)をひとつ入れさえすればOK。
季語だけで、だいたい数文字分とられるから、
あと十文字ちょっとで表現しなくては、と思うと、なかなかスリリングな文芸ともいえる。



 今年もあと数日、たまには違うメニューをご用意したいと思い、
十二か月の句(自作、テヘ)を月ごとに並べてみました。
「旅の恥はかきすて」といいますし、
「今年の恥は書き捨て」ということで(違)ご笑覧いただければ嬉しいです。



 山 あ い の 静 寂(しじま)は 深 し 滝 凍 て ぬ 

 
 レ ジ の 娘 の く しゃ み 慎 ま し 余 寒 か な

 
 チ ェ ロ 背 負 う 若 人 芽 吹 き の 雨 に 濡 れ

 
 筍 を 助 手 席 に 乗 せ 帰 京 か な

 
 青 東 風(あおごち) や 草 み な 種 を 持 ち て お り

 
 く ち な し を 一 輪 な れ ど 花 ぬ す び と

 
 初 恋 や ラ ム ネ の 壜 を も て あ ま す

 
 影 は 濃 く 光 は 軽(かろ) き 今 朝 の 秋

 
 今 生(こんじょう) の 羽 輝 か せ 蝉 落 ち ぬ

 
 青 団 栗 ヘ ン ゼ ル こ ぼ し 行 き し か も


 落 葉 と 呼 ぶ に は 惜 し き 緋 色 な り


 は ら は ら と 影 を 零 し て 冬 の 蝶

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