ピーターラビットのティーポット
新婚早々、と言っても、三十年も前の話だが、
夫に、「誕生日プレゼント、何がほしい?」と聞かれ、
「ピーターラビットのマグカップを、ペアでちょうだい」と答えた。
さて、その日がやってきて、夫がご満悦で渡してくれた包みを開けると、
予想だにしなかったモノが現れた。
6人分の紅茶が入りそうな、ピーターのティーポットだった。
生まれて初めてデパートの食器売り場に行ったという夫は、
「ウサギがついてるやつは、それしか置いてなかったので」と言った。
ウサギがついてる陶製の鍋敷きも、おまけのように入っていた。
(この組み合わせで、どうしろってんだ)と叫びそうになったが、当時の私はまだ可愛げがあったので、
失望を隠し、そこそこ喜んだふりをした。
その一方で、(本当に、この人でだいじょぶなんだろうか?)という疑念が深まった。
この勘は当たり、その後、あらゆる面で「だいじょばなかった」ことを思い知らされたのだった。
マグカップどころか、自分が毎日使っている茶碗の柄も覚えられない人がいるとは、思いもよらなかった。
このことは以前に書いたが、今もときどき、しゃもじ片手に食器棚をのぞいて、
「ワタシの茶碗、どれですか?」と、聞く。
このあいだも、頭痛で寝込んでいる私の枕元に来て、目の前に自分のと客用の茶椀をグイッと突き出し、
「どっちだったかな?」とのたまった。
脳の血管がきゅーっとしまるのがわかった。
いつか、これで命をとられそうだ。
そうそう、ポットの話をしようとしていたのでした。
結局、新婚のテーブルに、ビッグサイズなポットの出番はなく、以来三十年、
食器棚の奥に押し込んだままだったが、近頃、食器のダンシャリを思い立ち、
まず、これをどうにかしたいと思うようになった。
ポットだけなんて、もらってくれる人もいないだろうと思っていると、
娘が、ネットのフリマに出してみたら?と言う。
このアイディアに飛びついて、早速調べてみたところ、
今はもう製造されていないウエッジウッドの<旧刻印>とかで、なんと、
値段が当時の三倍に跳ね上がっていることがわかった。
さすがに三倍価格は恐れ多いので、購入時価格で出しておいたら、その日のうちに、
「ぜひ欲しい」という奇特な方が現れた。
丁寧に梱包して送り出すと、
「ありがとう、ありがとう。ずっと欲しかったので、大切にします!」というメッセージが返ってきた。
買い手さんにも、売った私にも、ポットそのものにも良い結果。
これぞ商売の理想、「三方よし」の精神だと、大いに気を良くしたのだった。
これに味をしめて、ネットオークションのページをこまめにチェックするようになった。
そこで、ちょっとレトロな感じのコーヒーカップを見つけた。
小さい頃、まったく同じものがわが家にもあったから、興味をひかれたのだが……
それにしても、なんでアンティークコーナーに出品されてるんだろう。
その横の、ガラスビーズのブローチも、母が持っていたものに雰囲気が良く似ている。
付された説明書きを読む。
<アンティーク・1950年代>
ええっ?1950年代の製品がアンティーク?!
俄かには信じられなかった。
それなら、この私だって、アンティークだ。
何代にもわたって人から人へ受け継がれ、遥かな歳月を旅してきた…そんな物語の一部のような、
一種薫り高いものへの憧れが、いきなり生々しさを帯びた。
確かに、半世紀という時間は長い。
悲しいかな、人間だって、これだけの歳月をくぐれば、変容著しい。
骨董の範疇に入れられても、仕方ないのかもしれない。
世の中の事象が目まぐるしく移り変わる現代においては、
本来、ゆるやかな時の流れの中で培われるはずの付加価値が、
よりスピーディに備わるようになったと考えるべきなのだろうか。
私がアンティークなら、夫もしかり。
母に至っては、アンティークの殿堂入り。
古びてはいくが、一向に付加価値がつかない私たちの身辺には、
必然的に、アンティークの品々が増えていく。
しめしめ、なのか、がっくり、なのか、よくわからない。
by mofu903
| 2014-11-20 09:54
| 回想