物言う猫
出だしから私事で恐縮です。
細々と続けてきたブログですが、おかげさまで、今日で100話目を迎えることができました。
実は、先日ブロ友さんに教えていただいて気づいたのですが、
ブログを始めてから、今月11日で丸一年たっていました。
もしも一年間続けられたなら、皆様にお礼のご挨拶をさせていただこうと心に描いておりましたのに、ころっと忘れちった。
本当に、私ってば風の谷のウマシカ(意味不明)
機を逸してしまいましたが、
拙ブログにおいでくださった皆さま、本当に有難うございました。
今回は、百物語なら百話目、本来でしたら、ひゅーどろどろとお化けがでるはずなのですが、
やはり一人語りのせいでしょうか、怪事は起きそうもありません。
ですので、今回はせめて、ブログタイトル「もの言う猫」のもとネタについてお話しさせていただきたいと思います。
『耳袋(みみぶくろ)』という江戸時代の珍談、奇談、怪異談を集めた本があり、
その中に、こんなお話がおさめられています。
『猫ものを言う事』
寛政七年の春のことだ。
牛込山伏町の何とかいう寺では、猫を飼っていた。
その猫が庭におりた鳩を狙っているのを和尚が見つけて、声をあげて鳩を逃がしてやった。
そのとき、猫が、「やっ、残念!」と呟いたのである。
聞いた和尚は驚いた。
裏口の方に走っていく猫を取り押さえると、手に小柄(こづか)をかざし、
「おまえ、……今、しゃべったな!」
「にゃあ?」
「ごまかすな。猫のくせにものを言うとは、恐ろしいやつ。
さだめし、化けて人をたぶらかすのであろう。さあ、人語を話すなら正直に申せ。
さもないと、殺生戒を破ってでも殺してしまうぞ」
猫は観念したとみえて、こう答えた。
「ものを言う猫など、珍しくもない。十年以上生きた猫なら、みなものを言うぞ。
それから十四、五年も過ぎたら神変も会得できる。
もっとも、そこまで生きる猫は、ほとんどおらぬが」
「そうだったのか。ならば、おまえがものを言うのも無理はない。
しかし、おまえはまだ十歳になっていないではないか」
「狐と交わって生まれた猫は、十年に満たなくても、ものを言う」
和尚はしばらく考えた。それから、
「今日まで飼ってきたおまえを殺すのは、やはり忍びない。
おまえがものを言ったのを、ほかに聞いた者はいないから、わしが黙っていればすむことだ。
これまでどおり、この寺にいるがよい」
と言って、放してやった。
猫は三拝してその場を去った。
そのまま何処へ行ったか、行方知れずになったそうだ。
その近所に住む者の語った話である。
不思議ばなしとしての魅力もさることながら、
飼い主としての愛情から、猫の本性を見なかったことで済まそうとする和尚さん、
その意を汲んで感謝しながらも行方知れずになった猫――という結末が好ましく、
数ある化け猫話の中でも、特に印象に残っています。
正体を知られて立ち去る猫には、恥の意識を重んじる武家思想が反映されているのか、
あるいは、自分が居座ることによって和尚に累が及ぶのを避けようとしたのか、
はたまた、江戸っ子の潔さか。
どちらにしろ、これぞ日本人の美学と思うのです。
これがもし欧米の話だとしたら、猫は恩義ある主人のために、「長靴をはいた猫」のごとく奮闘したかもしれませんね。
更新も遅く、ますますネタに乏しい「もの言う猫」ですが、
ゆるゆると続けさせていただけたら…と願っています。
皆さま、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
『耳袋』……江戸時代の南町奉行、根岸鎮衛が30余年間に書きついだ随筆。同僚や古老から聞き取った珍談、奇談などが記録され、全10巻1000編に及ぶ。
細々と続けてきたブログですが、おかげさまで、今日で100話目を迎えることができました。
実は、先日ブロ友さんに教えていただいて気づいたのですが、
ブログを始めてから、今月11日で丸一年たっていました。
もしも一年間続けられたなら、皆様にお礼のご挨拶をさせていただこうと心に描いておりましたのに、ころっと忘れちった。
本当に、私ってば風の谷のウマシカ(意味不明)
機を逸してしまいましたが、
拙ブログにおいでくださった皆さま、本当に有難うございました。
今回は、百物語なら百話目、本来でしたら、ひゅーどろどろとお化けがでるはずなのですが、
やはり一人語りのせいでしょうか、怪事は起きそうもありません。
ですので、今回はせめて、ブログタイトル「もの言う猫」のもとネタについてお話しさせていただきたいと思います。
『耳袋(みみぶくろ)』という江戸時代の珍談、奇談、怪異談を集めた本があり、
その中に、こんなお話がおさめられています。
『猫ものを言う事』
寛政七年の春のことだ。
牛込山伏町の何とかいう寺では、猫を飼っていた。
その猫が庭におりた鳩を狙っているのを和尚が見つけて、声をあげて鳩を逃がしてやった。
そのとき、猫が、「やっ、残念!」と呟いたのである。
聞いた和尚は驚いた。
裏口の方に走っていく猫を取り押さえると、手に小柄(こづか)をかざし、
「おまえ、……今、しゃべったな!」
「にゃあ?」
「ごまかすな。猫のくせにものを言うとは、恐ろしいやつ。
さだめし、化けて人をたぶらかすのであろう。さあ、人語を話すなら正直に申せ。
さもないと、殺生戒を破ってでも殺してしまうぞ」
猫は観念したとみえて、こう答えた。
「ものを言う猫など、珍しくもない。十年以上生きた猫なら、みなものを言うぞ。
それから十四、五年も過ぎたら神変も会得できる。
もっとも、そこまで生きる猫は、ほとんどおらぬが」
「そうだったのか。ならば、おまえがものを言うのも無理はない。
しかし、おまえはまだ十歳になっていないではないか」
「狐と交わって生まれた猫は、十年に満たなくても、ものを言う」
和尚はしばらく考えた。それから、
「今日まで飼ってきたおまえを殺すのは、やはり忍びない。
おまえがものを言ったのを、ほかに聞いた者はいないから、わしが黙っていればすむことだ。
これまでどおり、この寺にいるがよい」
と言って、放してやった。
猫は三拝してその場を去った。
そのまま何処へ行ったか、行方知れずになったそうだ。
その近所に住む者の語った話である。
不思議ばなしとしての魅力もさることながら、
飼い主としての愛情から、猫の本性を見なかったことで済まそうとする和尚さん、
その意を汲んで感謝しながらも行方知れずになった猫――という結末が好ましく、
数ある化け猫話の中でも、特に印象に残っています。
正体を知られて立ち去る猫には、恥の意識を重んじる武家思想が反映されているのか、
あるいは、自分が居座ることによって和尚に累が及ぶのを避けようとしたのか、
はたまた、江戸っ子の潔さか。
どちらにしろ、これぞ日本人の美学と思うのです。
これがもし欧米の話だとしたら、猫は恩義ある主人のために、「長靴をはいた猫」のごとく奮闘したかもしれませんね。
更新も遅く、ますますネタに乏しい「もの言う猫」ですが、
ゆるゆると続けさせていただけたら…と願っています。
皆さま、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
『耳袋』……江戸時代の南町奉行、根岸鎮衛が30余年間に書きついだ随筆。同僚や古老から聞き取った珍談、奇談などが記録され、全10巻1000編に及ぶ。
by mofu903
| 2011-09-23 16:34
| 動物