雛の座敷
ちょうど今頃の季節だったと思う。
友人と二人で「小江戸」と呼ばれる歴史の町・川越を散策したことがある。
かなり昔のことなので記憶があいまいだが、
観光スポットになっている蔵造りの町並みに、当時のまま保存されている商家があり、
内部を見学できるようになっていた。
家の造りや、生活の道具などを見て回ったあと、
黒光りする狭い隠し階段を上ると、
そこに八畳ほどの部屋があり、年代ものの雛壇がところ狭しと飾られていた。
代々、この家に嫁いだ女たちが持って来たものらしい。
五、六組、いや、もっとあったろうか。
底冷えする部屋の、黄ばんだ障子に春浅の薄日が差し、
ところどころ胡粉がはげたお雛さまたちは、それぞれの衣装と表情で、
褪せたもうせんの上に鎮座していた。
その存在感は、生身の人間である私たちをしのぐほどで、
周囲には張りつめた、哀切ともいえる空気が満ちていた。
それは、主を失くし、すでに愛でる人もいないお雛さまたちの哀しみだったのだろうか。
「ひとがた」が放つ念を、これほど強く感じたことはなかった。
桃の節句が近づくと、決まってそのときの情景が、夢のように浮かんでくる。
友人と二人で「小江戸」と呼ばれる歴史の町・川越を散策したことがある。
かなり昔のことなので記憶があいまいだが、
観光スポットになっている蔵造りの町並みに、当時のまま保存されている商家があり、
内部を見学できるようになっていた。
家の造りや、生活の道具などを見て回ったあと、
黒光りする狭い隠し階段を上ると、
そこに八畳ほどの部屋があり、年代ものの雛壇がところ狭しと飾られていた。
代々、この家に嫁いだ女たちが持って来たものらしい。
五、六組、いや、もっとあったろうか。
底冷えする部屋の、黄ばんだ障子に春浅の薄日が差し、
ところどころ胡粉がはげたお雛さまたちは、それぞれの衣装と表情で、
褪せたもうせんの上に鎮座していた。
その存在感は、生身の人間である私たちをしのぐほどで、
周囲には張りつめた、哀切ともいえる空気が満ちていた。
それは、主を失くし、すでに愛でる人もいないお雛さまたちの哀しみだったのだろうか。
「ひとがた」が放つ念を、これほど強く感じたことはなかった。
桃の節句が近づくと、決まってそのときの情景が、夢のように浮かんでくる。
by mofu903
| 2011-03-01 01:39
| 季節